2008年12月29日月曜日

今年もお世話になりました。

今年最後のポストです。
皆さん今年もお世話になりました。
約一年間ブログを書いてきて色々な事がありました。

こんな稚拙な内容を垂れ流してと思ったりもする。
最近になって定期的に更新する事を心がけて
逆にそれが心理的に負荷になったりもしているのだけど。
だけどやっぱり書いてみてよかったと思う。
まあ自己満足なんだけど。

年末は色々なところで総集編をやっているので
僕もその例の漏れず2008年でのマイベストを紹介しようと思います。

『音楽』
Owl City
自主制作なので流通には乗っていないらしいけど
エレクトロポップ全開でなんだかんだで聞きまくってました。
日本でもPerfumeとかテクノポッップが話題になったり。

Special Others
ジャムロックバンドSpecial Others。
GWに友達とスケートボードを持って旅に出た。
その先で流れていた音楽。太陽と風と水と、そんなんがすごく似合う。

パンク系ではStrung OutThe Flatlinersを上げようとしたけど2007年だ。
2008年はあんまり聞いてなかった。。。。

『映画』
ダークナイト
暫くジョーカーの台詞が頭から離れなかった。
ハリウッド的な勧善懲悪から抜け出そうとする意思と
全てを解決するスーパーヒーローなんて居ない(要らない)
というメッセージがあったと思う。

『ゲーム』
メタルギア ソリッド 4
ムービーゲームだと思うけど、オンライン面白いし
映像は素晴らしいし、ゲーム業界に対する問いかけもあった。
にしても主人公がおじいちゃんってのはやっぱりすごい。


ベストとは別の話でガンダム無双2が出た関係でガンダム無双1を入手。
ストーリーめちゃめちゃだけど、これはこれで爽快感。

洋ゲーのミラーズエッジは今日入手。
これはヤバいかも。任天堂はゲームの幅を広げて捉えている。
それはそれで良いんだけど、
コアなゲーマー層はどんどん洋ゲーにシフトしている。
難易度高過ぎだけど、新しいことにチャレンジして
斬新な感動を与えてくれるゲームは国内では
少なくなってきている気がしてならない。
リトルビッグプラネットも開発は英国だし。
このことについてはまた今度書きたい。

『本』
マンガは連載しているから年間ベストは難しいし
本は過去に出版されたものも読んでいるから
年間ベストは決めづらいです。
なのでピックアップするだけにしておきます。
Googleを支える技術
21世紀の歴史

『ウェブ』
iPhone
結局iPhone購入にはいってないですけど、
どんどん欲しくなってきています。
ただ個人的にはiPod Touchの新型が出るのではと睨んでます。
そちらが出れば、そちらを買います。
Firefox
FirefoxとGreasemonkeyは無くてはならないものになりました。
Firebugもサイト製作にはすごく便利です。
あと軽くなったのはかなり大きい。
Safariから完全に移行することになった。

あとはmF247の営業譲渡とPowerset買収かな。

それでは皆さん今年も一年有り難うございました。
良いお年を!

2008年12月22日月曜日

「シュタイナーと音楽」の講演にいってきたよ

父親の誘いで「シュタイナーと音楽」に関する講演に行ってきた。
朝日カルチャーセンターにも初めていった。
予想外(失礼)にも朝日カルチャーセンターは賑わっていた。
ライブハウスやイベントに行くように、
講義を受ける人がいるんだということに驚きながらも
何の為に講義を受けているんだろうか。
そんなことをふと思ったけど、考えるのをやめた。

講演の内容について印象に残ったことは2つ。
ベートーヴェン交響曲 第五番『運命』。これについて。
この曲は最初の5小節で決まるという。
おなじみの『ダダダダーン』が2回続き、フェルマータ(停止)が入る。
このフェルマータが宇宙を表しているという。
更に21小節目では、四分音符と四分休符がある訳だが
第1バイオリンを除き休符にフェルマータが付く。
第1バイオリンのみその前の四分音符にフェルマータが付く。

5小節が表す静寂の宇宙の中に、
第1バイオリンのみが運命を切り開くわけだ。
そう聞いてみるとこの運命という曲の凄みが実感できる。

僕は普段クラシック音楽はほとんど聞かない。
だけどもこうやって聞くことによって
その深淵に触れることが出来た気がした。

僕はパンクロックやエレクトロニカを中心に聞いていて
それらはアティテュード(姿勢)と音楽が一体になっていて
それらは不可分で体で感じること(身体性)はあっても
音楽自体の意味を探ることは無かった。

講義は広がり、マイルスデイビスやピンクフロイドにまで及んだ。

Pink Floyd -Cluster Oneをギターとピアノの対話です。
と言ったのには衝撃を受けた。


なんだか語り足りない気もするけど、少し関係してもう一点目。
音楽の3要素、「リズム」「メロディ」「ハーモニー」について。
特に「ハーモニー」について。
僕らは言葉や文字を使ってコミュニケーションを取ろうとするけど
内なる面と疎通する為には「ハーモニー」しかないという話。

さっきのギターとピアノが奏でるハーモニー(音色の融合)を
僕は言葉で伝えるすべを持たない。

僕はウェブ、インターネット、サイバースペース、ITといった言葉を
ある意図を持って使い分けているんだけど
多分ほとんど伝わっていないだろう。

ある人はメタバースと言った言葉を聞くだけで嫌悪感を持つかも知れない。
なぜならその言葉自体に、その人の意識が影響してきてしまうからだ。

ウェブの世界は結局のところそこまでは到達していない。
坂本龍一さんがネット時代の音楽についてコメントしている。
「ネットのおかげで、ぼくはたくさんの人に聞いてもらうことが音楽を作る動機にならないことが逆に分かった。アマチュア時代に戻ったような新鮮な感覚だ。顔の見えない、何をおもしろがるのか分からない大量のユーザーのために音楽を作る必要性を感じない。作りたい音楽があるからやっている。テクノロジーも100%は信用していない。結局はぼく自身の体にしかよりどころはない。自分の耳がどんなメロディーを聴きたいか。それを突き詰めていく」

坂本龍一さんは世界で一人だけになってもピアノを弾いていそうな気がするけど
自分の奏でる音と内面から発する音の「ハーモニー」を求めていると思った。
ネットの世界の可能性を信じながらも僕はそんなことを思った。

2008年12月15日月曜日

友達の事務所プレオープンイベント


友達が事務所を立ち上げた。

印刷の余白 Lab.という事務所ですごくいい事務所。

そのイベントに日曜行ってきたんだけど多種多様な個性が集まってた。
僕も刺激を受けて何かができる気がした。

人に何かを伝えるってことと
自分がやりたいことをやるってことを
両立させることは凄くシンプルなことだけど簡単じゃない。

インターネットにおいてビジネスが行われるようになり
どのコンテンツ(過去の創造物)を提供するのかが問われた。
その後のWeb2.0とか言われる流れの中で
そのコンテンツのコネクション(現在の繋がり)が重視された。
だけど依然として重要なのは未来へのコンセプトなんだと思う。

多分、印刷の余白 Lab.も原点に立ち返りその可能性を追求する
という素晴らしいコンセプトがあって、
コンテンツ(素材から見直す印刷物)と
誰かに届けたいというコネクションがあるのだと思う。


誰かにメッセージを届けるということはリスクのあることだ。
2ちゃんコピペブログの件についてでは
2ちゃん本体とコピペブログの違いは、編集があるかどうか。編集があるかどうかということは、メッセージがあるかどうか。ひろゆきは、メッセージングをしたくないんだと思う。メッセージを発するということは、能動的な意志の発露ということで、それはリスクだから。

とか書いている。
メッセージを発するからには真剣に取り組まなきゃなとも思った。

自分自身の価値を世の中に認めてもらうことと
己とは何ぞやということを問い続ける。
投げ出したくもなる時も時にはあるけど
資質として重要なことは疑問に思うこと
そういったことを突き詰めていこうと思う。

2008年12月8日月曜日

コメントについて

コメントをもらえることは非常にうれしい。
批判を受ければ自分自身の考えを更に整理することが出来るし
何より読み手があってこそ文章を書く意味が見いだせる。
日記を書いて読み手が自分自身だったりもする。
それも良いと思う。

ブログと関係ないコメントは消去すべきだという人もいるし
トップページ以外にブックマークしてほしく無い人もいる。

スラッシュドットなんかはコメント欄の方が重要だと思ったりする。
コメント欄もコンテンツの1つである。
電車男なんかはコメントの集まりで、みんなで作った作品だと思う。
コンテンツの印税はどうするのかという問題もあるけど。

僕は他の人が色々なことを考えるのは自由だし
よっぽどのことが無い限りコメントを削除しようとは思わないけど
やっぱり読んでくれる人がいてこそだと考えると、
見たい情報が読めなくなるような
「荒らし」や「虚偽」は制限しなくてはとも思う。
どこまでが「荒らし」や「虚偽」なのか判断基準は難しいけど。

メディアは時間や紙面など制約から意図的に情報を加工しなくてはならない。
しかしながら翼賛報道みたいなことになってはいけない。
テレビを見ている人はどれだけそのことを自覚しているのだろう。

電気ネットワークのギュウゾウがブログのコメント
を勝手に削除されていたと激怒
し、
真偽は定かではないが中川翔子がブログの検閲に涙したという。

ギュウゾウ氏は次のようなことを言っている。
「真剣な討論の中で人は育つ。
それは書き手側も同様だ。
これが出来ないのはほんとに残念だ」


ひろゆき氏もメディアの赤字と頭の弱い人を優遇すること
なんて挑戦的なことを書いている。

黒澤明の羅生門
は「真実は薮の中」だということを伝えている。
とは言っても僕は真実を探求したいと思うし、
真摯に向き合う姿勢が重要だと思う。

こんなことを書くと荒れるのかなぁ。

2008年12月1日月曜日

Catch the Ball, Throw the Game.

健康診断で悪い結果が出て生活習慣を変えようと思った。
(まだ心のどこかに不健康な生活に憧れがあるんだけど)

見た目的にはそこまで変化は無いのに
体の内部は少しずつ悪くなっていたんだろうと思う。
何となくサブプライム問題とか年金問題とか
組織的な腐敗とか重なって感じた。

閾値みたいな感じかな。

閾値とは、その値を境にして、動作や意味などが変わる値のことである。

閾値は、ユーザーの使い方や好み、動作環境などにより大きく異なり、プログラムを制御するために一意に決めることが難しいパラメータに対して使用されることが多い。

人間であれば曖昧な条件でも許されても、コンピュータには明確な指示を与える必要があり、そのような場合に閾値と呼ばれることが多い。また、動作を確認しながら、その値を決めていくチューニング値の場合も閾値と呼ばれる。

バッテリー切れの警告を行うバッテリー容量は、閾値の例である。


良い方面でも閾値的な考え方が当然あって、
コツコツ毎日練習をしていた人がある日突然上達するってこともある。
天才になる閾値が10000時間とか言っている人もいる。

数値や結果はもちろん重要なんだけと
そうなる前に兆しがあって、それも忘れちゃいけないと思った。
絶妙に設定されたゲーム難易度や優れた直感的なデザインとか
「兆し」を如何に反映するかということがよく考えられている。



そんなことを考えながらキャッチボールをすることにした。

一ヶ月くらいにも同じ相手とキャッチボールをしたんだけど
その一ヶ月の間に何があったんだ!?

受けるボールの球筋が違うんですけど。

ボールを見ると新品だったボールが使い古されている。
ああ、閾値をこえたんだ。