2012年12月6日木曜日

デジタル空即是色


デジタルってなんだろう?そう思ってた時、ちょうどチームラボの猪子さんの記事を目にした。僕にとってすごくよく分かる説明だった。

猪子:みんなよく言うじゃん。「アナログからデジタルへ」とか、「アナログの時代はよかった」とか、「デジタルは冷たい」とか。
デジタルって何かをまったくわかってなくて使ってるんだよね。じゃあ、デジタルって何かっていうと、「情報が物質を介在せず、単独として存在できる」ということなんだよ。
田中:物質を介在せず、ですか?
猪子:うん。情報化社会の前は、情報は物質を媒体としてたんだよ。たとえば油絵ってあるよね。人間にとって油絵は単なる情報でしかないんだけど、情報は情報として存在できなかったから、油絵の具っていう物質を媒体として存在してたわけ。 
もっとすげーわかりやすく言うと、音楽データ。レコードはアナログじゃん?

http://toyokeizai.net/articles/-/11686?page=4

僕が中高生の時、ちょうどカセットテープ、CD、MD、MP3と音楽を聞く方法が変化した。そこで起こったアナログとデジタルの変遷を経験として理解できる。これはすごい貴重なことだったななんて思う。

余談だが、耳に挟んだ(というよりポッドキャストで聞いたんだと思う)話で、ドワンゴ社内では、この変遷の時期に思春期を過ごした世代としてデジアナ世代と言ったりしてるらしい。

話を戻して「アナログ即是デジタル、デジタル即是アナログ」について説明すると、デジタル技術によって情報は物理的なものから離れることができることになったけど、「情報は直ぐに物理的なものに変わり、そしてまた情報となっていく」んじゃないかなと思ったわけです。

音楽を例にすると次のような感じ。

友だちに勧められてあるバンドの音楽を聞いてみる(アナログからデジタル)
すごい気に入ったのでバンドを深く調べていく(まだデジタル)
バンドのライブ情報を見つけたのでライブに行く(デジタルからアナログ)
ライブで友達と待ち合わせる(アナログ)

そこでウェブサービスの役割を考えると、やっぱりこの変換装置を作るところが大きな役割なんじゃないかなーと。もしくは、その一部をやるにしても、そのくらいの視野を持ちもちたいなと思ったりしました。

(おわり)



余談:たまに僕は攻殻機動隊の世界ではどうなんなんだろうと妄想したりします。世界においてもアナログというのはあるのかな、と考えたりします。

※攻殻機動隊の世界では電脳化によって脳内活動がすべて電気信号に置き換わり、人間と機械の境界が極めてあいまいになっています。そういった世界で「自我とか意識とは何か」というのが作品のテーマになっています。たぶん。

僕は、切り離されたとはいえ、デジタルとアナログは隣り合っていて、曖昧な境界もかなりあるのではないかと思っています。例えばゲームをしていて強烈をした時、その瞬間やストーリーを記憶します。それは経験といえるもので、経験は自分の体という物理的なものを介して保存されると思います。つまりアナログ。

※そう考えると遺伝子ってデジタルだなって思ったり。

さらにいうと電脳化された社会では、自分の体の認識は広がり、身体性は広くなるのではと思ったりします。例えばサイボーグとなった体であれば、そのサイボーグの部分も体と認めます。と考えると、電脳化された世界ではデジタル空間も拡張するが、それに合わせて身体性も拡張し、アナログとデジタルのバランスは保たれていくんでないかなと。

※まあそういのは虚構だと言う人もいるだろうな。

(今日もこうして無駄なことを考えて生きています)