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2014年1月1日水曜日

2014年の目標

あけましておめでとうございます。2014年もよろしくお願いします。

(実家で探してきました)

2014年は十二支では午年ということですが、60年周期の干支では甲午(きのえうま)になります。午という字は、正午や子午線上というように、てっぺんを表す意味です。つまり午年というのは成長が極限を過ぎて、衰えを見せ始めた時のことを言うそうです。一方、甲は十干で一番目の字になり、古い体制が終わり、革新がはじめるということらしいです。

ちょうど60年周期で見てみると、1954年はゴジラの公開、世界初の原子力発電所、昭和の大合併など、高度経済成長を象徴する出来事があったようです。以下、その後の甲午の出来事をWikipediaより箇条書きにしてみます。

1894年 日清戦争。
1834年 イギリス、東インド会社中国貿易独占権廃止。
1774年 解体新書や若きウェルテルの悩みの刊行。
1714年 多くに対する大粛正、江島生島事件。
1654年 ウェストミンスター和約締結、第一次英蘭戦争(1652年 - )終結。
1594年 石川五右衛門、三条河原で釜茹での刑に処せられる。
1534年 イグナチオ・デ・ロヨラ他7名によってイエズス会が結成。
1474年 ダライ・ラマ1世の死去。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E5%8D%88



2013年のテーマはInsideとOutsideということでした。2013年は派手なアクションはありませんが、「ものづくり」の舞台裏を考えた年であったかなと思います。

2013年の半ば、「それ、ジョブズならなんて言うかな?」とかうざい発言をするようにもなりました。スティーブ・ジョブズの映画が2本公開され、それを観に行った影響です。

最初、馬鹿にしていた「あまちゃん」にもハマり、何を聞いてもあまちゃんの話だと勘違いするようになってました。

また宮崎駿の「風立ちぬ」公開、そして引退に際して、スタジオ・ジブリのものづくりについて考察をしました。風の谷のナウシカから始まり、その後の全ての作品において、それぞれの挑戦があることに驚かされます。

そして年の最後に「ゼログラビティ」を観て、天地が裏返るような衝撃を受けました。まだ観ていないひとは、是非、観に行ってみてください。IMAXで。

2014年のテーマとしてはコア(核)ということにしたいと思います。どうぞよろしくお願いします。





2013年11月11日月曜日

シリコンバレーに行ってきました


2013年11月2日からシリコンバレーに行ってきました。視察目的での訪問です。さまざまな人に大変お世話になりました。まずは思うところを、そのまま書いてみたいと思います。

ぶっちゃけいうとシリコンバレーはIT企業以外、何もありません。故に若い人はサンフランシスコに住みたがっているとか話を聞きましたが、まあそんなことはどうでもよく。僕が痛感したことは何もない地域が、これだけの企業の集合体を生み出し、そこから世界に影響を与えるプロダクトが生産されていることです。

僕はこれまで日本人がシリコンバレーに行って起業することの意味があまりわかりませんでした。なぜなら、海外で受ける日本人が作ったモノは日本的であるものが多く、海外で展開するのにはそこが鍵だと思っていたからです。つまり海外に行くことによってそのメリットを消してしまうのではないかと。今回の訪問でその考えはある意味正しく、ある意味間違っていたことに気づきました。

シリコンバレーにある企業は、その中に独自の国家を作ろうとしているのです。つまり、日本対アメリカではなく、ローカル対グローバルという視点を持ちました。テクノロジーを使って世界的や普遍的な問題にアプローチするための場所がシリコンバレーなのだと思いました。実際に多くの住人は世界中から集って来ていて、インドを含むアジア人を見かける事が多いです。

もう一つ思ったことは、これはシリコンバレーに限ったことではないのですが、ひとや土地には波長があるということです。シリコンバレーにはシリコンバレーの波長が、インドにはインドの波長があって、その波長に合う人が呼ばれていく気がしました。

お世話になった方、どうもありがとうございます。







2013年10月22日火曜日

結構前の7月21日ですがシンガポール行ってきました


シーシャ吸って、カジノ行って、インキュベーションセンター見てきました。ざっくりと時間を決めて現地でという流れだったんですが、すんなり合流できました。すごい発展です。あとせっかくなのでiPad min cellularを買ってきました。

2013年5月21日火曜日

2013年5月18日の朝日

先週末に合宿をしまして、その帰りの朝日が綺麗だったので。

2013年1月1日火曜日

2013年の目標


みなさんあけましておめでとうございます!

2012年は多くの方にお世話になりました。多くのアドバイスもいただきながら、なかなか充実した1年だったように思えます。2012のはじめに定めた目標は半分くらいしか達成できなかったですが、今まで気づかなかった課題も見つけることができました。なによりも1年間を通じて喜怒哀楽の多い年でした。つまり、楽しく過ごせました。

2013年も新しい扉を開いて行きたいと思います。
2013年の目標としては次を考えています。

・InsideとOutsideのバランスをとる

よろしくお願いいたします!

2012年12月6日木曜日

デジタル空即是色


デジタルってなんだろう?そう思ってた時、ちょうどチームラボの猪子さんの記事を目にした。僕にとってすごくよく分かる説明だった。

猪子:みんなよく言うじゃん。「アナログからデジタルへ」とか、「アナログの時代はよかった」とか、「デジタルは冷たい」とか。
デジタルって何かをまったくわかってなくて使ってるんだよね。じゃあ、デジタルって何かっていうと、「情報が物質を介在せず、単独として存在できる」ということなんだよ。
田中:物質を介在せず、ですか?
猪子:うん。情報化社会の前は、情報は物質を媒体としてたんだよ。たとえば油絵ってあるよね。人間にとって油絵は単なる情報でしかないんだけど、情報は情報として存在できなかったから、油絵の具っていう物質を媒体として存在してたわけ。 
もっとすげーわかりやすく言うと、音楽データ。レコードはアナログじゃん?

http://toyokeizai.net/articles/-/11686?page=4

僕が中高生の時、ちょうどカセットテープ、CD、MD、MP3と音楽を聞く方法が変化した。そこで起こったアナログとデジタルの変遷を経験として理解できる。これはすごい貴重なことだったななんて思う。

余談だが、耳に挟んだ(というよりポッドキャストで聞いたんだと思う)話で、ドワンゴ社内では、この変遷の時期に思春期を過ごした世代としてデジアナ世代と言ったりしてるらしい。

話を戻して「アナログ即是デジタル、デジタル即是アナログ」について説明すると、デジタル技術によって情報は物理的なものから離れることができることになったけど、「情報は直ぐに物理的なものに変わり、そしてまた情報となっていく」んじゃないかなと思ったわけです。

音楽を例にすると次のような感じ。

友だちに勧められてあるバンドの音楽を聞いてみる(アナログからデジタル)
すごい気に入ったのでバンドを深く調べていく(まだデジタル)
バンドのライブ情報を見つけたのでライブに行く(デジタルからアナログ)
ライブで友達と待ち合わせる(アナログ)

そこでウェブサービスの役割を考えると、やっぱりこの変換装置を作るところが大きな役割なんじゃないかなーと。もしくは、その一部をやるにしても、そのくらいの視野を持ちもちたいなと思ったりしました。

(おわり)



余談:たまに僕は攻殻機動隊の世界ではどうなんなんだろうと妄想したりします。世界においてもアナログというのはあるのかな、と考えたりします。

※攻殻機動隊の世界では電脳化によって脳内活動がすべて電気信号に置き換わり、人間と機械の境界が極めてあいまいになっています。そういった世界で「自我とか意識とは何か」というのが作品のテーマになっています。たぶん。

僕は、切り離されたとはいえ、デジタルとアナログは隣り合っていて、曖昧な境界もかなりあるのではないかと思っています。例えばゲームをしていて強烈をした時、その瞬間やストーリーを記憶します。それは経験といえるもので、経験は自分の体という物理的なものを介して保存されると思います。つまりアナログ。

※そう考えると遺伝子ってデジタルだなって思ったり。

さらにいうと電脳化された社会では、自分の体の認識は広がり、身体性は広くなるのではと思ったりします。例えばサイボーグとなった体であれば、そのサイボーグの部分も体と認めます。と考えると、電脳化された世界ではデジタル空間も拡張するが、それに合わせて身体性も拡張し、アナログとデジタルのバランスは保たれていくんでないかなと。

※まあそういのは虚構だと言う人もいるだろうな。

(今日もこうして無駄なことを考えて生きています)





2012年11月29日木曜日

デジタル色即是空

父から般若心経って知ってる?と聞かれた。殆どの人に興味がない内容かもしれないけど、なんとなく思ったことを書いてみることにする。いつもの様に。

一般的に般若というと「あの怖いお面」を思い浮かべるかもしれないが、Wikipediaの般若の意味を調べると下記のとおり。


般若
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AC%E8%8B%A5
一般には智慧といい、仏教におけるいろいろの修行の結果として得られた「さとり」の智慧をいう。ことに、大乗仏教が起こってからは、般若は大乗仏教の特質を示す意味で用いられ、諸法の実相である空と相応する智慧として強調されてきた。
つまり般若心経とは空の教えということ。有名な色即是空、空即是色ということばも般若心経の中の一節だったりする。ニコニコ動画にこの般若心経の現代語訳?が乗ってたので、これも面白かったので乗せておく。
(黄色のコメントが現代語訳?)



和訳の部分の解釈は色々あると思うのだけれども、やはり空をどの様に理解するのかが難しい。英訳だとemptinessとしたりしているらしい。兄はデカルトの我思う故に我在りみたいな話と似ていると思う、なんて言ったりしていた。こうやっていろいろな思考に発展していきやすいのが東洋思想の面白いところだったりする。

僕もそんなことをベースに考えていたら、ちょっと思いついたことがあった。あまりに飛んだ話ではあるなーと持っていたんだけど、人にすこし話してみたらわりと理解いただけたのでブログに書いてみる。

それは「アナログ即是デジタル、デジタル即是アナログ」という考え。

文字ヅラはあまり良くないけど、ウェブサービスについてちょっと参考になるのかなと思ったりしてます。説明すると長くなりそうなので次週に続きを書きます。

(来週の木曜に続く)


2012年10月6日土曜日

僕の5年のログポース 4


ーザ・ワールド・ウィズアウト・ジョブズー


ようやく1年ちょっと前まで戻って来れた。僕は会社を辞める決意をしてから、実際に辞めるまでプログラミングの勉強を続けていた。実際に辞めることになった時に、エンジニアスクールの紹介があった。ちょうど無職になるし、自己流でやってきたエンジニアの勉強の復習のためにいい機会だと思って行く事にした。
(いま思えば、こんな大きな変化のきっかけになるとは思ってなかったが)

開業してから色々なことをした。エンジニアスクールでは、生徒から先生の立場までなった。その後、ベトナムでアプリコンテストをした。エンジニアとしてある企業の業務システムを作り、新しいサービスの開発もしている。そして、そのサービスを大きくするため人材開発もしてる。こちらでは本当に多くのことをさせてもらってる。

iPhoneアプリの改修や画像素材の作成やHPの制作などもした。企業のウェブ戦略のコンサルティング的なことまでしたし、プロモーションドラマの撮影的なこともした。その間に、ゲームの企画職もやったり、システム統合作業もした。ウェブマーケティングの仕事もした。

それとさらに並行してしたことが、自分たちのサービス開発と月1で簡単なサービスを作ること。自分たちのサービス開発は4つくらい開発して、2つは途中て開発中止にした。そしてまた新しい色々なことで動き始めてる。

これから先のストーリーはどうなるのだろう。現実はそこまで派手でもないが、淡々と進むわけでも無い。結局はそのひとつひとつを真摯に受け止めて行くしか無いのだと思う。自分の意志によって新しい一歩が生まれる。その一歩によって新しいストーリが開けるのであれば、それはまた楽しみでもある。

ーさいごにー

(ベトナムにて)


さいごにこの文章を書いている時に思ったことをまとめておこうと思う。

「魂」
判断をするのに魂が必要になった。もちろん中二病的※な意味も含めて。全ての瞬間で自分が判断しなくてはいけなくなった。損得勘定より、本当にそれが自分の望む方向なのかを決めなくてはいけない。誰かが代わりに答えてくれることはない。だから、何かを判断するには魂が必要だ。そこがズレているとやっぱり、全然うまく行かない。

※中二病=中学二年生くらいの時に思春期の男性が持つ特有の妄想。という感じで理解されてる。

「正解はひとつじゃない」
世の中には色々な人がいて、それぞれの判断や答えがある。そして、それの一つ一つに対して、ひとつの正解はない。価値観の数だけ答えの出し方はある。そんな判断は面白いし勉強になる。合わせて感情移入しやすくなって涙もろくなった。まあ悪いことじゃないと思ってる。

「サバイバルゲーム」
リアルな生活の意味でもホビー的な意味でもサバイバルゲームを始めた。対戦相手、チームメンバー募集中です。お気軽にご連絡ください。

「記憶と時間と想い出」
段々と最近の話になるに連れて、「記憶の生さ」加減に耐えるのが辛かった。記憶は時間が経つと共に薄くなってしまうのかもしれないが、その分、熟成される部分があるのだと思った。

実は、中学〜高校〜大学の僕の記憶も、かなり良い感じに熟成されてしまっている。はちゃめちゃな楽しいストーリーがあったなぁとぼんやり思い出しかける。ただし赤面する内容が数多くあるので、とりあえずは封印しておくことにする。

おわり

2012年9月14日金曜日

2012年3月23日金曜日

ベトナム滞雑記

実のない雑記を書く。2009年にインドにいってきてから無理して海外に行かなくてもいいかなと思うようになっていた。深く考えず、たぶん、自分の中で、それ以上の経験は無いんだろうなと思うようになっていたから。勝手に見積もって、勝手に自己解決。多くの「成されないこと」はそんなもんなんじゃないかと思う。

ホーチミン空港

そんなことを考えながら、しばらく過ごしていた。突如ベトナムに視察に行こうとの誘いが。一旦、ペンディング。そしてすぐ、行きます、と返事をした。仕事の視察で海外に行くということが魅力的だった。
僕はやっぱり予想外なことが好きだ。見えない確度から殴られる感じ。価値観がガタガタと音を立てて崩れる感じ。世界と、境界線と接している感じがする。予想外の誘いは魅力的だった。結果。
行ってよかった。

大学のキャンパス
多くの新しい事実や、多くの建設的な意見や、多くのビジネスや、多くのポジティブなエネルギーは有意義ではありつつも、その奥にあるものが人を動かす原動力なんだと思う。

甲本ヒロトが言っていた。「やりたいこと」には「やらなきゃいけないこと」がセットでくっついてくる。子供のときは「やらなきゃいけないこと」がクリアできないから「やりたいこと」を諦める。でも大人になったら「やらなきゃいけないこと」はクリアできるってこと。「やりたいこと」はなんにも変わんないよ、と。原動力はそんなところかなと思ったりしたり。

ホーチミンの街並み
旅は一緒にいく人も重要だなと思う。滞在中に話題になったのが「移動距離と成長」は比例するのかどうかということだった。あまり移動したくない僕は否定をしたかった。否定をしつつ思ったことは、別に移動距離は物理的なものでもなくてもいいんじゃないかなということだった。それなら賛同してもいい。そしてベトナム滞在で成長したかと言われれば、成長って何なんだろうね、とお茶を濁すくらいにしておこうかな。

2011年8月8日月曜日

モノづくり以外の部分













モノづくり以外の部分についての雑感を書いてみたいと思う。それはマーケティングやプロデュース、ビジネスモデルなどと呼ばれたりする部分になる。

まず始めにどんなに優れたものでも伝える手段がなければ広がることはない。だからそれを届ける手段が必要になる。だからどんなに優れた画家であっても、一枚も売れずにこの世を去ったりする。マーケティングというと、人のふんどしで相撲をとるといったイメージを持つかも知れないが、ものを世界に届けたいと思うのならば、それは必要なのだ。そしてその循環がなければ次にモノを作る元手がなくなる。

さらに言うならば、このモノを届ける道筋も、優れた道路設計や都市設計があるように創造的行為となると感じている。モノ自体が空虚だった場合は詐欺行為のような印象を与えることもあるのだと思うが。

次にどう伝えるか。人にメッセージを伝えるのは難しい。なぜなら同じ言葉でも、個人個人によってイメージする像が異なるからだ。だから、いろいろな言葉を選び、相手と自分の共通な言葉を探して伝えていく必要がある。時には針の穴を通すような作業を延々とさせられる気になる時もある。優れたキャッチコピーとは、これができている言葉なのだと思う。それに加えて、スパイスが効いているとなお良い。相手がスパイスの味を確認できた時、「ああこれに俺は気づいた」と思う。そうすることによって、今度はその言葉が相手のものになる。

ただどうしても全員に伝えることは、理解させることは現実的には不可能だ。世界中の人と同時に会話はできない。だから誰に伝えるのかが大事になる。そしてどの様に有限の資源を配分するかということになる。

ちょっと主観的な推測も入っているかも知れないが最近面白いなと思った具体例を書いてみる。

・ドラゴン桜は東大受験をテーマにしたマンガだが、編集の佐渡島さんはマンガコーナーだけでなく、参考書の横に置いてもらうよう働きかけた。ドラゴン桜は受験生にも届くマンガだと判断した。

・ AKB48。優れたアイドルを探しだすのは相当な資源が必要となる。しかも美的センスは偏りがあり、共通解を出すのは難しい。だからその資源を削り、選び出す過程を作る方へ資源を投入した。

・韓流アイドル。優れたアーティストを探しだすのは難しい。だから原石が入っているかどうかは判断する資源を削り、とりあえず磨き上げ、物量を増やすことに資源を投入した。


下の二つは、先に書いたようにモノ軽視につながりやすく、モノが軽くなってしまえば使い捨てや詐欺的な印象を与えるといった点も補足しておく。ただこうして、考えてみると色々な問題を含むことは承知ながら、非常に興味深く読み解ける。最近、流行している「カーヴィーダンス」というやつも、マーケティング手法においても見事なような印象を受ける。

最後に、どうしたらこうした方法を考えつく事ができるのか。それに対して今思っていることは 「部分から全体を想像すること」、「複数のことを同時に走らせること」、「空気を創りだすこと」だ。ちょっと長くなってしまったので、説明は割愛してコクリコ坂の例を最後に記す。

・コクリコ坂のモデルは横浜だというキーワードを設定した。そしてKDDIと横浜市と協力してモデルとなった横浜市の名所をスタンプラリーするパンフレットを作成した。そして最後のスタンプはAUショップで押すこととなり、そこで景品がもらえる。

2011年7月28日木曜日

2つの助言













起業してる高校の時の同級生に合ってきた。2つのことが印象に残っているのでまとめておく。

物事には将来性とリスクという二つの側面があって、その天秤を持っていることが起業家には必要だということ。また特に将来性を見るにはポジティブさが必要だということ。お前が起業家になるのかどうかは知らないが、起業家になるにはそのポジティブさが必要だと。

もう一つ。ビジネスをするには、ニーズを持っている人やお金を払う人と、話をまとめる必要がある。それが伝わらない時、相手がネットのことが分からないから伝わらないと思っているならば、それは大きな勘違いだということ。要は「なに屋さんなのか」ということが伝わっていない。それが伝わらなくても成立するビジネスもあるんだろうけど、それって面白いか?

すごく当たり前のように聞こえるかも知れなけど重い言葉だった。

2011年7月2日土曜日

根っこの部分












ここ三ヶ月くらい思っていること。人間の根っこの部分は変わらないということ。どんな考えにしても良く良く考えてみると、その人の根本的な欲求が反映されてる。話をよく聞いてみたりしてもそう思うし、自分の考えを振りかって見てもそう思う。どこかで「自分らしさを探してみるという風潮があるが、そんなモノは存在しなくて、モノを作る過程において自分らしさが発揮される」という話を聞いたことがあったが、正しくそんな感じ。

どんなモノにも作った人のサインが込められてる。banksyなんてその典型な気がする。そんな所に同類の匂いを感じたりするのだろう。と、性根の腐ってる僕は思いました。

2011年2月12日土曜日

21世紀人型ロボット

年初、2011年という年は是非とも10年後のことも考えて貰いたいという話を聞いた。2010年の始まりということだ。なるほどなと思った。そして同時に、ふと、2001年に21世紀のことを考えたのだろうかと思った。もう10年前の事でたぶんドラえもんのことを考えたくらいの曖昧な記憶しか無い。

とある話でGoogle機械帝国の話を聞く。また数年前に聞いたGoogleが僕らの情報をコントロールするという話を思い出す。Facebookも然り。情報はサーバーに蓄えられ制御されていく。今後21世紀はこうした時代なのだろうと思う。産業革命以降、力作業は徐々に機械に取って変わられた。

そう考えると21世紀、情報を処理する作業は機械に取って変わられるだろう。 情報産業に関わっているとそのことを強く思う。集合知、SEO、セマンティックウェブ、全てが情報を如何にして機械的に制御しようとする試みだ。そしてその一部は成功してきている。人間より優れた情報処理能力を持ってきている。

Amazonのレコメンドエンジンと家電量販店の店員さんのおすすめ情報はどちらが信用できるだろう。ひょっとすると店員さんのおすすめ情報はPOSシステムによって吐き出される売れ筋情報をそのまま伝えてるだけに過ぎないかも知れない。落ち着いて考えてみよう。世の中の多くの仕事はそうなりつつある。一見、複雑に見えるような仕事でも、その実は機械やシステムによって吐き出される情報を処理して、どちらが数字が大きくなるかという判断のもと動いているだけに過ぎなかったりする。

情報処理の優位性はもはや機械に傾きはじめている。

もちろん全てがそうということではないが、世の中の大部分の中で人が果たす役割は機械によって吐き出された情報に沿って行動するということになる。21世紀はロボット人間となる時代となるように思える。多くの側面で。

そういった時代に僕らは何をしよう。

2010年12月6日月曜日

鶏口牛後












2010年の最後の月が始まりました。まだ12月も始まったばかりなので振り返るのは少し早いんでしょうが、一年経つのはあっという間なのに、一年前はずいぶん昔な気がします。

最近、考えていることは独創性の恐怖ということ。何かを始めるときに、独創性、つまりは何か1つでも「唯一である」ということが無いと、全て無意味なんじゃないかと思う恐怖心に支配され過ぎているということ。

確かにウェブの世界は特にその傾向が顕著で、似た様なサービスは消えていってしまう。劣化コピーや複製品は消えていく。

一方、独創性というものはそれ単体では存在しないということは良く忘れられる。独創性のあるサービス、独創性のある音楽、映画、独創性のある何かは存在するけども、独創性自体というものは無い。だから独創性を追い求めていくと迷路に入り込む。

何かをつくる過程において、その質が高いとか低いとかはあるけれども、独創的なものは生まれてくる。知識は行動を縛り付けるものでは無く、何かをする方法を教えてくれるものでありたい。だからあまり考えすぎてしまうのも考えものだなぁとか考えたりしてる。

2010年11月5日金曜日

27 2 28












上昇志向も破壊衝動も孤独も躁も無自覚な優しさも全てまとめて小さなことに感じることがある。それはどんどん現実感から離れていく「要し得ない」感覚だ。この感覚は何だろうと考えていて、しばらくすると考えることに飽きて、別のことを考え始めている。考えは長くは続かない。感覚は常にそこにある。そういったことを通して僕は結構、そういう感覚を大事にしているということに気がついた。僕は四六時中、同じことなんて考えられない。放っていおいても腹は減るし、眠くはなるし、年も取る。だから28になっても、消え去るより、燃え尽きるのはまだ早い。

2010年9月15日水曜日

空の高さと地平線












空の高さを表現しようとするとき地平線があったほうが分かりやすい。ただ、空は晴れていたほうがいい。空は地平線の延長ではないから。感性や感覚を伝えようとするとき論理があったほうが分かりやすい。そしてやっぱり、感性や感覚は突き抜けていた方がいい。そんなことを思った。

時間の長さを感じようとするならモノがあったほうが分かりやすい。モノがどう変わったかで、どれだけ時間が経ったか分かるから。逆に時間の長さを感じたくなければ変わらないものを見続ければいい。思い出に浸るとかね。

スーパーマリオブラザーズが生まれて25周年だそうだ。スーパーマリオの思い出に浸れば時間を超えて懐かしい感覚が蘇る。今のゲームを見れば25年間の歳月を感じずにはいられない。そんなことを思った。

2010年8月23日月曜日

朝焼けと最近の感覚












2週間くらい前だと思う。朝方に家に帰るとき綺麗な朝焼けが出ていたので思わず写真をとった。暫く文章が書けない状態が続いているんだけれども、その分、ぼんやりと考え事をすることが増えた。ぼんやりと考えてるから、ちょっと前に何を考えていたのかなんてことはどこかに消えてしまう。難しい本を読んでみて、なんとなく分かった気になって、暫らく経つと何が書いてあったかが思い出せない。そんな感覚によく似ている。

そこでちょっと思う。消えてしまった記憶は全て無いということと同じなんだろうか。ぼんやり感じた感覚は本当に消えてしまったのだろうか。タバコの煙が空気に馴染んで透明になるように溶けていっただけなんじゃないだろうか。

ぼんやりとした感覚の中で過ごしたことは、なんとなく溶けていってしまった気がしている。この数カ月間はそんな感じだった。八王子城跡に行こうとして迷子になったり、仙台スケートパークに行ったり、インセプションを見たり、スパ4をやったり、アリエッティを見たり、横井軍平トークショーに行ったり、その間に読んだ数冊の本もあまり記憶に残っていなかったりする。

人に何かを伝えようとするとストーリーが必要で、そのストーリーは記憶につながる。例えば小学生の時の夏休みと言われて、何かを伝えられる人は、夏休みのストーリーを持っていたりする。だけど僕の中に森の中でセミの鳴き声を聞いている夏休みの瞬間がある。僕がなぜそこにいたのか分からないし、ひょっとしたら頭の中でイメージしたものが現実と重なっているだけなのかも知れないが。イメージだとしても、その中の何個かは現実だろうけどね。

まあだから記憶に残っていないと思いながらも、溶けていった瞬間と瞬間は写真の様に覚えていたりする。僕らは瞬間を伝える方法を知らないだけなのかも知れない。