2017年12月30日土曜日

2017年振り返り

第二子が生まれて生活が変わる中で、人生如何に行くべきか、を引き続き模索中です。人生の彩りは豊かになり、時間認識が長くなりました。賑やかな声で目を覚まし、あっという間に一日が終わる日々を楽しく過ごしています。35年という時間は一瞬のようでもあり、大政奉還から150年しかたっていないことはつくづく、脈々と続く20万年前から続く人類の営みが自分と地続きであることを実感します。

世の中は分断化され、再び個の力が強まる(ポール・グラハム的には集団をひきつけていた力が弱まる)方に進みつつあります。こうした背景から少なくとも、集団的な無意識を認識し、それ前提に個人が意思決定をした上で、また自己を没頭するもに還元していくことが大事と感じます。

When Rockefeller said individualism was gone, he was right for a hundred years. It's back now, and that's likely to be true for longer.
原文 http://paulgraham.com/re.html
和訳 https://note.mu/hoshinomaki/n/n77c7df31ffa1

毎日コードを書くと決めてから実施してみましたが、2回ほど(4日)風邪を引いたためかけませんでした。意思の問題より自己管理の問題だとわかったのは収穫です。引き続き、この厳密に習慣を続けるかどうかは未定ですが、習慣的に学びアウトプットをすることに効果的だったので基本的には習慣化させていきたいと思います。

今後の課題としてはどうやって、これらの活動を生産的にできるかということです。 いともたやすく、境界を超えていく、そんな風に行きたいものです。

2017年1月1日日曜日

2017年

旧年は子供が生まれたことにより大きく生活のリズムが変わりました。ひとがいっていたが、気にせずにしてきたことの多さに驚くとともに自省をしております。絶対的に時間の制約が生まれたことにより、切り捨てるものは切り捨て、無為に時間を過ごすことが、さらに減りました。集中力が増すことにより生産性も上がった気がします。振り返ると、カリカリし過ぎてた気もするので、もうすこしヒップに行きたいなと思う次第です。2017年もよろしくお願いします。

平成29年 元旦


2016年1月1日金曜日

2016年の目標

2015年は個人的に大きな変化のあった年でした。結婚、第一子の誕生を通じて、様々なことを考え、自分自身を見直しました。いまは混乱を喜びと祝福でサンドイッチされている気分です。2016年のテーマは三度一致ということにしたいと思います。



旧年は人工知能の元年とも言われるほど、ディープラーニングに代表される、機械学習の知見が広まりました。これにのっかりまして、ディープラーニングの技術を使って、ゴッホと娘の写真を合成してみました。なかなか計算に時間がかかりましたが、いい感じにできるのではないでしょうか。

2016年は、こうした技術が画像認識以上の知性を持ち得るかどうか、興味深いポイントです。将来的には。おそらくテキストの意味解釈はもっとされるようになり、未来予測のようなこともできるようになるでしょう。

また、これに合わせて、GPUの活用といった背景から、並列プログラミングというのも、テーマになってくることが予想できます。いずれにせよ、実用化手前といった段階で、研究やビジネスをする上では非常に面白くなってきています。

もっと先の未来としては、やはり人工知能が、機械的な仕事はすべてこなしてくれる未来が来ることに伴って、僕らが取り組むべきことの多くは、エンターテイメントと教育になってくるのではと思っています。(あとは権力や武力のパワーゲームかもしれません)

プログラミングと教育とエンターテイメントを掛け合わせた取り組みを2016年も邁進してまいります。

2016年もよろしくお願いいたします。

2015年1月1日木曜日

2015年の目標

みなさん、明けましておめでとうございます。


青い空は動かない、雲片一つあるでない。

2015年の目標は「時をカケル」。

2014年の映画、インターステラーと6才のボクが、大人になるまで。

2014年に見た映画の中で面白かった映画は下記です。

・インターステラー
・6才のボクが、大人になるまで。
・ダラスバイヤーズクラブ
・ホドロフスキーのDUNE
・地獄でなぜ悪い

時間は平等なものだと言われたりするが、僕はぜんぜんそう思わない。

現在においてもっとも貴重なものは時間だと言われたりする。いや、それは現在だけじゃないでしょ。いつの時代だって時間はもっとも貴重。ただ、たしかに、時間をどう扱うのか、という問題は21世紀において中心的なテーマになっていると思う。

とくに「インターステラー」と「6才のボクが、大人になるまで。」について僕がこの2つの映画を見て思ったことは、僕らは時間に翻弄されているように思えて、同時に僕らは時間を支配しているということ。

観ていない人には何を言っているのか分からないと思うけど、「インターステラー」は時間を積分したような映画で、「6才のボクが、大人になるまで。」は時間を微分したような映画だった。この2つの映画をみると時間との付き合い方がわかるような気がする。

2つとも語るよりエクスペリエンスなので、見てみると良いと思う。