年初、2011年という年は是非とも10年後のことも考えて貰いたいという話を聞いた。2010年の始まりということだ。なるほどなと思った。そして同時に、ふと、2001年に21世紀のことを考えたのだろうかと思った。もう10年前の事でたぶんドラえもんのことを考えたくらいの曖昧な記憶しか無い。
とある話でGoogle機械帝国の話を聞く。また数年前に聞いたGoogleが僕らの情報をコントロールするという話を思い出す。Facebookも然り。情報はサーバーに蓄えられ制御されていく。今後21世紀はこうした時代なのだろうと思う。産業革命以降、力作業は徐々に機械に取って変わられた。
そう考えると21世紀、情報を処理する作業は機械に取って変わられるだろう。 情報産業に関わっているとそのことを強く思う。集合知、SEO、セマンティックウェブ、全てが情報を如何にして機械的に制御しようとする試みだ。そしてその一部は成功してきている。人間より優れた情報処理能力を持ってきている。
Amazonのレコメンドエンジンと家電量販店の店員さんのおすすめ情報はどちらが信用できるだろう。ひょっとすると店員さんのおすすめ情報はPOSシステムによって吐き出される売れ筋情報をそのまま伝えてるだけに過ぎないかも知れない。落ち着いて考えてみよう。世の中の多くの仕事はそうなりつつある。一見、複雑に見えるような仕事でも、その実は機械やシステムによって吐き出される情報を処理して、どちらが数字が大きくなるかという判断のもと動いているだけに過ぎなかったりする。
情報処理の優位性はもはや機械に傾きはじめている。
もちろん全てがそうということではないが、世の中の大部分の中で人が果たす役割は機械によって吐き出された情報に沿って行動するということになる。21世紀はロボット人間となる時代となるように思える。多くの側面で。
そういった時代に僕らは何をしよう。
1 コメント:
人間らしい機械が沢山生まれる中、
私は、機械的人間にはなりたくないなと思うのです。
人間らしさを見失ってはいけない。
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