初めてその存在を知ったのは、兄が、「すげぇゲームをつくる人がいるんだよ」と伝えてきたからだった。「すげぇ」のは「ゲーム」に掛かっているのか、「人」に掛かっているのか、「両方」に掛かっているのかわからなかったが、僕にとっては「両方」だった。それ以来、僕が生まれて初めて尊敬した人となり、今でも僕の中のロールモデルだ。
よい並びだ。(-: QT @masumikawasaki 第9地区を見てきた: 第9地区を見てきた。Twitterで@kenjienoさんや@kojima_hideoさんが面白いと言っていただけでなく... http://bit.ly/c1wZYx
— 飯野賢治 Kenji Enoさん (@kenjieno) 2010年4月17日
3年前の同じ時期に祖母も他界した。死について思う。死ぬということはどういうことなんだろう。ご本人のPOSTにもある。「いずれにせよ、よく言われるような 簡単なことではないと思っている」… たしかに。。。簡単なことではない。。。
もうひとつ、思うことはもうツィートは更新されないし、飯野さんの新作を楽しむことはできない。つまり死とは僕らのいるこの世界に対して与えられる変化が固定化することかも知れない。生きている間は僕らは流動的だ。そういうことを思っていて、寂しくなり、居ても立ってもいられなくなり、botを作ることにした。
https://twitter.com/kenjieno_bot
追記:僕より先に同様のことを考えられた方がいました
https://twitter.com/kenjieno_words
正直なところ賛否両論はあるかも知れない。西健一さんが「作家が亡くなったって作品は生きているのだ。」と、newtonicaをフリー配信したように、僕は思う。
亡くなったとしても影響力は生きている。僕はそう思う。
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