2009年3月9日月曜日

境界線について

iknowという英語を勉強できるSNSがリニューアル

2009年3月5日、学習エンジン機能付き英語学習 SNS サイト「iKnow!」を運営するセレゴ・ジャパンが、同日からサイト名およびドメインを「smart.fm」に変更、語学以外の知識も習得できる学習プラットフォームに転進、ワールドワイドでの展開を開始した。
現在のユーザー数は約43万人で、そのうちの97%が日本人だという。今後、欧米からのユーザーの流入を図り、2009年末までには400〜500万人までに拡大する意向だ。

去年ぐらいから英語の勉強の為やっていたんだけど飽きはじてたのでいいタイミングだと思った。ずっと前から気になっていたんだけど、このiknowを運営するセレゴ・ジャパンの経営陣は外国人。なんで外国人が日本でベンチャー企業をやるのかということ。「日本人は勤勉なのに英語が出来ていない」から、「逆に未開拓な市場がある」とか、「ブロードバンドが発達しているインターネット事情」とか色々な理由があるんだと思う。ただやっぱり重要なのは、英語やインターネットというもの自体のビジネスの境界線が低いということなんだろうと思う。

この境界線という発想はオンラインゲームとパッケージ化されたゲームでも見られる。中国ではパッケージ化されたゲームよりオンラインゲームの方が盛んだ。何故かというとパッケージ化されたゲームはコピーされる恐れがあるが、オンラインゲームはその恐れが低い(すなわち境界線が低い)からだ。

WiiやDSなどでゲームという境界線を下げたのは任天堂だと思う。それのよってゲームの可能性が広がったのは間違いないだろう。ただ、気になるのは境界線を下げることに力を入れるがあまり、今までのユーザーが見えなくなってしまっていないだろうか。ちょうどこないだミラーズエッジ(鏡の境界線)と言うアメリカのゲームをクリアした。明らかに素人を無視した難易度設定だったけど、ランナーズビジョンと呼ばれる赤く光るオブジェクトを目標に、高層ビルの屋上を駆け巡る爽快感は新鮮だった。多くの人に伝えようとする為に境界線を下げる。その為に本当の魅力が消えてしまう。自分の場合も含めてそんなことが最近多くなった気がする。
以前洋ゲーについて今度書きたいと言ったのはこのことです)

(memo)
テクノコードの誕生を読んだ。
97年に書かれたにも関わらず鋭く現状を予見している。以下メモ用。
「人は必ず死ぬ」だから「人間は、コミュニケーションによって世界と生に意味を与え、孤独と死に対抗する」

「言説」は以下の4つに分類できる
劇場型言説
ピラミッド型言説
樹木型言説
円形劇場型言説

「対話」は以下の2つのタイプに分類できる
サークル型対話
ネット型対話

客観性など存在しない。ある言明は、そこで発言権を主張している視点の数が多ければ多いほど、また、それらの視点をとることのできる人々の数が多ければ多いほど、真実に近い(間主観性)

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