2009年6月21日日曜日

人の集まる場所


”At Home”なる各業界で活躍しようとする人たちの集まりというものに、場違いながら行くことになったので行ってきた。渋谷は人が多くて嫌になる。数年前、韓国に行ったときに東大門は夜通し人が溢れていて、圧倒されながらも人の多さに嫌気がさした。特にセンター街はそんな気持ちを起こさせる街になってきたのかもしれない。

僕の勝手な妄想かもしれないが人が集まるところには確執が存在する。プライドの高い人の集まりなら尚更だ。それについて確認した。何事も確認は重要だからね。

皆が仕事に関する話をしている中で、特に話せる面白い仕事の話も無い僕は当たり障りの無い範囲で虚構を作り上げることに専念する。人は席を離れ孤立するのかと思いきや、物好きな人もいるものだ。僕は虚構の中の与太話に付き合ってくれる人もいることに驚きながらも、物好きな人は”良くそんなにポンポン適当なことを言えるよね”と感心していた。

一通り場をカオスに落とし込んだ後、気づいたことがあった。実際の現実の生活が充実していない人間でも虚構の世界では面白いことができる。それで良いんだと思うんだが、どうなんだろうか。そもそも人は他人にそこまで関心が無いんだろうか。

広告代理業を行っている人にも会うことができた。広告代理業については思うところが大きかったので、率直な意見をガツンと申し上げた。かつては糸井重里さんや中島らもさんのように存在感のあるキャッチコピーがたくさんあった。全てがダメという訳ではないのは無いのは承知のことだが、業界全体として停滞感を感じているのは僕だけではないはずだ。以前に僕がTumblrでクリップした記事にもバブル崩壊以降コピーの時代は終わったというのがあるので今更何をという気もしなくもないが、完全に息の根が止まる(広告が面白くなくなる)ことを考えている。10年以上記憶に残るようなキャッチコピーは生まれることは無くなるのだろう。

僕が言いたいことは成果報酬という考え方に終始する。Googleの検索エンジンはクリック課金の広告モデルをベースにしているし、アマゾンアフィリエイトも同様だ。成果報酬型広告は広告業界に与えるイノベーション(破壊的創造)であり、いまだに既存の広告業界を破壊しながら侵蝕を進めている。情報の最適マッチングに購買行動を含めた素晴らしい発想であり、ウェブ業界を支えている屋台骨だ。

ただし、成果効率のみを追い求めるとマーケットは拡大しなくなる。既に興味を持っている人、既に確立しているマーケットに対して広告を打てば成果効率は必然的に高くなる。成果効率を追い求めすぎると、新しいマーケットを創造する資金が、既存のマーケットに向けられてしまう。本来の広告やキャッチコピーというものはマーケットを創造することなのだから、こうした流れはどっかズレている気がする。

成果報酬の広告は悪くない。広告業界もこのことに気づいて、可能性を追求している方もいるのだろう。無関係の人から見ればつまらない広告は無視すればいい。僕もこれに対して明確な答えは持ち合わしてはいないし、広告業界からは離れてしまったので直接的な働きかけはしないだろうけど、引続き見届けたい。

渋谷は全体的に暗い気がした。たまたま天気が悪かっただけなんだろうか。

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