2012年9月29日土曜日

僕の5年のログポース 3


ーボニーアンドクライド・マニーアンドプライドー


前回、書いたように僕は失敗をした。それにけじめを付ける必要があった。自分自身に自信を取り戻すために。僕の結論は「ものを作るには手と頭を連動させて動かさなければいけない」だった。それが組織であれ、個人であれ。そしてプログラミングの勉強を始めることにする。前まではソースをみて、少し直すようになる程度だったが、完全にゼロから書けるようになりたいと思った。

そして、次の部署にはエンジニアとしてアサインされた。ただし、僕には後処理も残っていたし、新しい部署といまの部署は物理的に離れていたので、離れたものを繋ぐには具体的な物が必要だった。仕事としては普段は会社清算業務を進めながら、週に一度はひとつの機能を持ったコードを納めるような形になった。

ただ、だいたいこの頃だったと思う。会社を完全に辞める決断をしたのは。なぜそう思ったかといえば、「ものを作るには手と頭を連動させて動かさなければいけない」という結論が大きかった。そして、負けっぱなしでは終われないという意識があった。

この頃のことは前後不覚な感じだ。たぶん、それだけ心理的ダメージを受けていたんだと思う。そして、そのダメージに耐えるため、偶然ネットで見つけた「失ったものに対しての取り返しのつかなさを感じるのは、そこから多くの物を得ていたからだ。」という言葉を大事にしていた。

ーピース・オブ・サムシングー


その頃と前後して、僕は部署を異動になる。新しいサービスを立ち上げるので、ウェブマーケティングをして欲しいとのことだった。この頃に意識し始めたのが、サービス指向ということだった。最初の部署で学んだウェブマーケティングをしていたのだけれども、前とは違って、誰に向けてサービスを作るのかを意識し始めていた。周りも見え始め、周りの人から多くのことを学ぶ方法も取り入れ始めた。

この部署に入る頃に、「人生は宝探し」だと思います、と痩せ我慢をしながら伝えたことが記憶に残っている。宝探しの意味は、たぶん人それぞれなんだと思う。ただ、それに向かって進んでいく意志が重要なんだと思う。そして、今の自分はどうなんだろうと思う。

あと会社を辞めるときに思ったことは「僕が受けた幸運は別の人に返したい※」ということだった。誰かの好意を、その人に返すだけでは閉じた世界で終わってしまう。その好意を、誰か別の人に与えることが出来れば「好意は連鎖する」。そうすれば、この世の中は、もっと別のものに変わるんでは無いだろうか。

※ペイ・フォワードと言う映画の話にインスパイヤーされてます。おすすめです。

多くのことを学ばせてもらったが、感謝の気持ちを上手く伝えることができなかったと思う。気持ちを伝えるのは本当に難しい。実はいまでも伝える機会をけっこう待ってる。

(また土曜、次回最終回)

2012年9月22日土曜日

僕の5年のログポース 2


ー時計の針とカチカチ山ー


「この船は泥船かも知れないよ、それでもこの船に乗る?」僕はそう言われたことを覚えている。そして泥の船でも船出はできる。仮に沈んだとしても、いまと大して変わらない。僕は思っていた。ただ今から思えば間違っていた。多くのことを得たが、沈んだ時と同じくらいの立ち直りの期間が必要だった。

入社して2年目に、僕は1年上の先輩の2人と新しい子会社を作ることを任された。しかもアメリカとのジョイント・ベンチャーだった。何もかも知らないことだらけだった。この会社はおよそ2年やって、精算することになる。その2年間はあまりに多くのことがあり、濃密だった。いまでも2年という感覚もわかないのだけれども、思い出を語ろうとするとあまりに多くがある。その中身も、具体的に書けば波瀾万丈のストーリーがいくつもあるのだが、それについてはまた別の機会に譲りたいと思う。

僕らは実際に企画をし、サービスを作り、閉じるまでを決めた。3人ではじめた仕事は途中の出向を含めて10人にまでなり、最後は3人になり、諦める決断をし、2人になった。やった仕事の種類は多すぎて分からない。

この時のことでよく思い出すのは2つのことだ。「閉じる決断をした経緯」と、その後の「自分の能力と将来について」だ。

まず閉じる決断。その決断をする時は、徹底的に話し合った。徹底的に話し合った上での前向きな決断が後ろ向きな決断だった。何かをやめないと、前に進めないことがある。そう、最初に書いたように「変化していくことで、同一性を保つことができる」のだ。海に向かって進むという同一性。僕らは、僕らの同一性を保つためにその決断をした。だから、僕は今でも、その決断を大事にしている。

あと、自分の能力と将来について。僕はこのころしきりに「万能感がなくなった」と言っていた。ひょっとしたら以前にブログでも書いたかもしれない。この万能感は「おれなんでもできるんだぜ」ってことではなく、「自分には無限の可能性があるから、将来なんだってできる」というものだ。

確かに、何かを「始める」のに遅すぎることはない。ただ、なにかに「なる」のに遅すぎることはある。プロ野球選手など、肉体を武器にする人は、この事実にもっと早くに気づくのかもしれない。僕らの肉体は無限には持たない。(いちおう今のところとしておくか)。だから、どこか遠くに進むには、方向を定めなければいけない。

そう、それでは「どちらの方向に進もう」この答えを出すのに、先に書いた立ち直りの期間が必要だった。2年くらいの期間が必要になった。


(長くなったので今回はここまで、来週の土曜につづく)

2012年9月15日土曜日

僕の5年のログポース 1


ーはじめにー


人が何かを決める瞬間、なにかがスパークする。それぞれがおのおのスパークする。僕はその瞬間が好きだったりする。その煌めきは、やがて忘れられてしまうのかもしれない。または、やがて大きな爆発になるかもしれない。

破壊的想像と言うのか、特異点と言うのか、あるいは何か別の言葉があるのかもしれない。ただ、僕らはそれをやがて受け入れ、変化していくことで、同一性を保つことができる。また、一方で過去は忘却の彼方へ消えて行く。

そんなことを考えならがすこし、自分の変遷を整理したいと思った。どこまで変容した過去を戻ってみるのが適切なのかは分からないが、まず5年くらい戻ってみたいと思う。

直接的には言えば誤解を生み、隠喩を使うほど現実から離れてしまうかも知れない。また、記憶の語り口は、人の数だけある。そんなわけで、果たして、これが読む価値のある文章か分からない。

ただとりあえず書いてしまったものは公開してもいいんじゃいかと思うので、サブタイトルをつけながら、一度に書いたものを何回かに分けて更新してみる。僕自身とっては、それが自分の残光のようなれば良いなと思う。

ーフレッシュマン・オン・ザ・グラウンドー


僕の初めての仕事はウェブマーケティングの仕事だった。ウェブマーケティングの仕事を説明するのは意外と難しい。リスティング、SEO、ソーシャルマーケティングなどの言葉を使わずに説明すると、インターネットを使って広告を出す仕事というのがせめてもの説明かも知れない。

この時にした多くの仕事は、費用対効果の確認とシュミレーションだった。例えば、この広告を出した時、いくらの売上が予想できるのか。そして、実際にはどうだったのか、と言うことだった。

当時を思い返すと、徹底的に数字についての感覚を鍛えられたと思う。これら仕事は社会人成り立てで、浮き足立つ自分に杭を打ち込むようなものだったと思う。そしてノウハウなんかより、そちらの感覚は今でも大きく役だっているように思う。

2ヶ月後、社内で立ち上がった広告代理店に兼務で出向することになる。新卒に毛が生えた程度の自分に、大きな役割を果たせ無かったように思えうが、当時の上司に「みんなでなにか成し遂げる達成感を感じて欲しい」と言われたことは今でも覚えている。僕は100%体験できた自信はないのだが、人それぞれの価値観のモザイク模様や、豪腕的手法について、さまざまな印象を持った。そして1年で辞めたいと思っていた会社について、まだまだ学ぶことが多いことを感じた。そして自分の意志で足を踏み出したいと感じたのだと記憶している。

ー海に出ること、舟に乗ること、旗を振ることー


たぶん入社して1年くらい経った後だった。新しい部署に異動した。

海に出ようと思うことと、海に出ることは違う。だけれども、まずは僕は海に何があるのかを語る人に惹かれた。僕らにとって海とはウェブのことだった。そして、アメリカ大陸を発見したコロンブスのように、まずはそこに大陸があると思うことが大事なように思った。大陸があると思わなければ、大海に出ようとは思わないし、ましてや大陸を発見することなんて無理だと思った。

ただ少し思うのは、もしコロンブスがアメリカ大陸を発見しなかったら、コロンブスは永遠に海に出たのだろうか。または、コロンブスが一回も海に出なかったら、アメリカ大陸をずっとインドだと思ったのだろうか。仮説に仮説を重ねるループはやがて、どこに行ってしまうのだろうか。僕はそんなことを思っていた。あとは、大したこともできない自分について、やきもきしていたことも少し思い出す。


(来週の土曜につづく)

2012年9月14日金曜日