2012年9月22日土曜日
僕の5年のログポース 2
ー時計の針とカチカチ山ー
「この船は泥船かも知れないよ、それでもこの船に乗る?」僕はそう言われたことを覚えている。そして泥の船でも船出はできる。仮に沈んだとしても、いまと大して変わらない。僕は思っていた。ただ今から思えば間違っていた。多くのことを得たが、沈んだ時と同じくらいの立ち直りの期間が必要だった。
入社して2年目に、僕は1年上の先輩の2人と新しい子会社を作ることを任された。しかもアメリカとのジョイント・ベンチャーだった。何もかも知らないことだらけだった。この会社はおよそ2年やって、精算することになる。その2年間はあまりに多くのことがあり、濃密だった。いまでも2年という感覚もわかないのだけれども、思い出を語ろうとするとあまりに多くがある。その中身も、具体的に書けば波瀾万丈のストーリーがいくつもあるのだが、それについてはまた別の機会に譲りたいと思う。
僕らは実際に企画をし、サービスを作り、閉じるまでを決めた。3人ではじめた仕事は途中の出向を含めて10人にまでなり、最後は3人になり、諦める決断をし、2人になった。やった仕事の種類は多すぎて分からない。
この時のことでよく思い出すのは2つのことだ。「閉じる決断をした経緯」と、その後の「自分の能力と将来について」だ。
まず閉じる決断。その決断をする時は、徹底的に話し合った。徹底的に話し合った上での前向きな決断が後ろ向きな決断だった。何かをやめないと、前に進めないことがある。そう、最初に書いたように「変化していくことで、同一性を保つことができる」のだ。海に向かって進むという同一性。僕らは、僕らの同一性を保つためにその決断をした。だから、僕は今でも、その決断を大事にしている。
あと、自分の能力と将来について。僕はこのころしきりに「万能感がなくなった」と言っていた。ひょっとしたら以前にブログでも書いたかもしれない。この万能感は「おれなんでもできるんだぜ」ってことではなく、「自分には無限の可能性があるから、将来なんだってできる」というものだ。
確かに、何かを「始める」のに遅すぎることはない。ただ、なにかに「なる」のに遅すぎることはある。プロ野球選手など、肉体を武器にする人は、この事実にもっと早くに気づくのかもしれない。僕らの肉体は無限には持たない。(いちおう今のところとしておくか)。だから、どこか遠くに進むには、方向を定めなければいけない。
そう、それでは「どちらの方向に進もう」この答えを出すのに、先に書いた立ち直りの期間が必要だった。2年くらいの期間が必要になった。
(長くなったので今回はここまで、来週の土曜につづく)
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