2010年1月4日月曜日

旧年の振り返り

新年の抱負を書く前に2009年の振り返りを少し。
一年前は下記のことに注目すると書きました。

-Concept
コンセプト。どういう概念を見ているのか。
-Content
コンテンツ。どういう内容が存在しているか。
-Connection(communication)
コネクション。どういう伝達が行われているのか。

2009年はTwitterの大流行(電通が絡んでいるのではと邪推したりしてますが)やiPhoneの普及やGoogleの新技術の発表などがありました。一方で小さなベンチャー企業は景気悪化の煽りを受けて廃業になったものも少なくありませんでしたが、セカイカメラなどのAR(拡張現実)事業は注目を集めています。ゲーム業界については相変わらず任天堂の評価は高いですが、世界的には日本のプレゼンスは低下している状況ではあります。PSP goなどオンライン配信などi-Tunes型モデルもスタートしました。

以下、簡単にまとめておきます。

・Concept→小さなコンセプトは淘汰された。
拡張現実とクラウドコンピューティングなどインフラよりの発想にシフトしつつある。大量の資金確保が難しい現状ではこれらの中核技術がより注目されると思われる。

・Contents→配信ビジネスの流行の兆し。
iPhone,Kindle,PSP go,着うたなど多くのものが配信されるようになった。今後の課題としては三者間(ユーザー、クリエーター、配信)の利益分配のモデルか。

・Connection→アメブロ、Twitterなど著名人の参加が話題に。
芸能や政治の分野での活用方法が注目され出す。ネットワーク性は引き続きビジネスモデルとしての中核を担うが、既存ユーザーにおいては飽和感があり異分野への展開があると思われる。

今年のテーマを少し書いておきたいと思いましたがちょっと長くなったので次回にしたいと思います。

2010年1月1日金曜日

謹賀新年

みなさま明けましておめでとうございます。
旧年中はご心配かけましたが新年は虎の気持ちを理解したいと思います。

2009年12月24日木曜日

日々のウダウダ

ブログの定期更新をしないと決めてから数カ月が経つ。「定期更新をしないと決める」とは変な言い方で「定期更新を諦める」のが正しいののだろうけど、とりあえず理由はいろいろあって「睡眠不足」だとか「日々の視点がブログ中心になる」とか「他にもブログ的なのを書いている」とかあるのだけれども、一番大きな理由として「書きたいときに書こうと思ったら書きたくなくなった」と。

最近、実感していることとして「世の中に正解なんて無い」という中学生でも分かりそうなことがある。局所では正しそうな事があっても限られた情報の中で判断をする。正しいと思えることでも要因が複雑に絡まり合い、全体として見ると間違っていることが多々ある。だから、結局は自分が正しいと思うか思わないかだけが残る。

そこで最初のところと繋がってくる。自分が正しいと思えることを書こう、と。ただ意外にも簡単にいかないのは、人から変な目でみられたらどうしようとか、こいつ相変わらずワケわかんないこといってんなーとかが気になって、書かないという選択をしてしまうところなのである。だから合理的に考えたら「めんどい」。

ただ意外にも暫く更新をしていないと「最近書いていないよねー」とか「ブログやめたの?」とか「たまに見てるけど。。。」なんて話をちらほら聞くようになる。なんとなく申し訳ない気持ちになる。という訳で何かを書こうと思ったのだが、書きたいことが見当たらないので、こんな文章を書いてしまっている。

最近買った大人の科学「ミニエレキギター」、ただし多分購入者のほとんどはギター所有者なんだろうなとか書くか。いや、見たいと思っているが見ていない映画の感想を勝手に書くか。「This is it」たぶんプロモのメイキング「戦場でワルツを」たぶん映像は面白いけどストーリーは難解「アバター」たぶん3Dシアターの迫力がすごい「アサルトガールズ」たぶんストーリーはナンセンス映像は新鮮「かいじゅうたちのいるところ」たぶん面白いスパイスの効いたほんわかストーリー。とりあえずクリアーもしてないのにみんな文句言い過ぎだろ「FF13」とか。どんどん収拾がつかなくなるのでここらでやめておきます。今は次のポストでは一年の振り返りとかしたいと思っています。

2009年11月17日火曜日

あまりに小難しい内容なので

ブログのトップに小難しい内容がずっと表示されていると気が滅入る。たぶん、小難しい人間と思われたくないからだろう。小難しい人間はへ理屈をコネて人を煙に巻こうとするし、何より見下された感じがするからいまいち好きになれない。まあコンプレックスとか言わない。

だからといって「うひょ〜なにんも考えないのよょょょょよ〜」なんて書く気にもなれない。そもそも椅子に座ってキーボードなんかをカタカタやると無意識的に考えようとしてしまう。横になったらなったで眠くなってブログなんて更新する気が失せる。外に出る気もしないし、コードを書く気もしない、なんて時はつまらないことを考えてしまう。

「つまらないこと」とは、もう一度数学を勉強し直そうだとか、腹が減ったから何を食べようとか、明日は雨が降るかなとかそんなことだ。全くもって役に立たんことこの上ない。ただし僕は生来の愚か者だからか、長く考えるということができないので、たぶん、心配ない。

2009年11月2日月曜日

多様性と複雑系について

21世紀が始まり10年が経ち、限りないレバレッジを効かす金融資本主義の綻びを見せ始め、極東の島では政権交代が叫ばれた。そんな中でも生活の基本的な部分では大きな変化も見られないまま、それぞれの生活を続けて行く。何かが変わることを望んでも結局それが実現するという実感は持てないままでいる。外部環境が変わっても根本的な問題はそのまま残り続ける。つまり僕らは何に価値観を求めれば良いのだろう。

アナログレコードが廃れCDに移り変わり僕の父親までがiPodを持ち歩く。まだ本は読まれ続けているが雑誌の売上は確実に落ち、電子ブックやケータイ小説が小さなブームとなる。複雑なエンジンを積んだ自動車も電気モーターというシンプルな作りの電気自動車に代替されて行く。蒸気機関なんて新橋にしか無い。ゲームという言葉もトランプや花札や将棋を連想するものでは無く、テレビゲームを差す言葉になった。すなわち、僕らは電気信号の中で生活をすることとなった。これらのことは何を意味するのだろうか。

これらは多様性の時代の終焉を予感させる。多様性とは個体差の中から生まれる。1952年に発売されたレスポールは使われる材木ごとに鳴りが違う。そしてそれが多様性を生んでいく。誤解を恐れずに言えばシンセサイザーに音の違いは無い。デジタル化の中でひとつの多様性の時代が終わりつつあることを感じる。デジタルの悲しみはこうしたところに現れる。僕はもう多様性の中に価値観を見いだすことができなくなりつつある。

だからといって価値観そのものを捨て去ることはできない。過ぎ去った夢を追いつづけることはできるかも知れないが、全てを平等に扱うことなんて出来ない。ネットワーク化。僕はそこに1つの救いを見出す。それぞれの音は画一的で没個性的だったとしても繋がりが生み出す価値がある。予見不可能な複雑系の中に価値観を見出す。そんなことができるかもしれない。なんてことを考える秋の夜長。