「パンクはそれまでのなによりも一番大きな衝撃だった。パンク・ロックに出会って、ようやく生きる意味、友達を見つけた気がした。」 NIRVANA カート・コバーン
かの有名なグランジという言葉をメジャーにまで押し上げたNIRVANAのヴォーカル、ギターのカートはこう言った。カートの生い立ちは不幸であった。彼がまだ小さい頃に両親が離婚し、彼はそれを自分のせいだと思いこんでしまう。そしてその後彼は親戚中をたらい回しにされていく。そんななか彼が生きていこうと思わせたのは音楽であった。これは彼だけに言える事ではないだろう。
ロックギタリスト、ジミー・ヘンドリックスも音楽によって救われ、居場所を見つけられた一人であろう。彼の両親も彼が生まれてすぐに離婚してしまった。若すぎる母によって、親戚のおばさんにあずけられた彼には早くも帰る場所がなかった。それでも彼の母が再婚しまた両親とともに暮らすようになったが、その母も彼が15の時にこの世を去り、また彼は居場所を失った。そして彼は不良グループの仲間入りをして、窃盗などの罪で逮捕されてしまう。その時、刑務所行きの代わりに軍隊に入ることになる。そこで彼はギターに出会うのであった。そうして彼は音楽の世界でギターの神とまで言われるようになるのである。これまでいくつかの例をあげてきたが、すべて生い立ちが不幸な人ばかりである。ただ彼ら彼女らは生い立ちが不幸な故に自分が孤独であるとゆう事をより深く理解し、しかも音楽以外には居場所、生き場所を見つけられなかったのではないか。
しかし生い立ちが不幸な人だけが音楽を生きがいにしているわけではない。何を隠そうこの自分も音楽によって救われた人間の一人である。なぜこんなにも音楽は人に影響を与えるのであろうか。
音楽が持つ力ははかりしれない。たとえ耳の聞こえない人でも音を感じる事ができ、それによってそれまで耳が聞こえないがために暗かった人格を、音を感じる事によって変えてしまうこともできる。ある音楽を聴けば、ある風景を思い出しがんばらなければとさせるものもある。どんなにつらいときでもこの歌を聴けば頑張れるというものをもっている人も多い。終戦の年、紅白歌合戦をはじめようとした人は終戦によって落ちこんでいる人々を元気づけ、生きる活気を与えるには音楽しかないと信じて、それを実現させた。人々は活気を取り戻し、現代の日本を見ればわかるように立派に復興した。音楽には人々を幸せにできる力がある。音楽によって国を動かす事さえある。
しかしながら、やはり音楽は一つの表現である。自己を表現できるものであると言う事が重要であろう。自己を表現する事で、自分の存在価値を見出し、それがまさに生きるもととなるのであろう。またそこで音楽によって自己を表現する人の表現を受け入れる人がいる。その受け入れる人はその事で孤独をまぎらわす事ができる。このようにして音楽は人々の生きるもとになっている。
2008年2月28日木曜日
2008年2月27日水曜日
大転換 のまとめ
「大転換」のまとめ
この本は19世紀文明の四つの制度が崩壊したことについて語られている。それは、バランス・オブ・パワー・システム、国際金本位制、自己調整的市場、自由主義的国家の四つである。そして、この四つのシステムのうち自己調整的市場がすべての母体であると語られている。この指摘は大変適確であると思う。すなわち、この世界のもとは経済にあるということだ。経済があり政治があるということである。
第一部(1章、2章)においては平和について書かれている。ヨーロッパにおいて19世紀はこの四つの制度により平和な百年だったとしている。この点において私は、一点付け加えたい。この時代、ヨーロッパの国々は東アジア、アフリカへ植民地を増やそうとしていた。ゆえに、東アジアではとても平和な百年といえる時代でなかったのであろう。ここでさらにいわれていることは、ロスチャイルドのような大金融家は単一の政府に従属していなかったため、戦争も彼らによって起こされたが、また平和も彼らによって組織されたという点である。しかしながら、1904年、ヨーロッパにおいて、それまで独立した勢力間のルーズな連合であったヨーロッパ協調は敵対する2グループに分かれてしまうこととなり、バランス・オブ・パワー・システムが崩壊する。そして、それによりヨーロッパにおいても、平和の百年は終ることとなる。この四つのシステムはイギリスで産まれそしてイギリスで崩壊することとなった。
第二部においては、上の四つのシステム母体となる自己調整的市場について語られる。特に前半部分(3章から10章)では、市場の歴史について語られる。3章から5章では、昔ながらの取引をする未開人などをサンプルに人間の本能的に取引をするかという点を文化人類学的に考察している。そして、既知の経済システムは互恵、再分配、家政すなわち対称性、中心性、自給自足の三つの原理ないしはその組み合わせでできているとしている。これはまさにその通りであろう。そしてこれに習慣や法、呪術や宗教がともに作用して、経済システムにおける各自の働きを究極的には保証する行動法則に、個々人を従わせたのである。すなわち習慣や法、呪術や宗教によって三つの原理に従わせたということである。次に市場パターンの進化についてである。市場は偏在によって生じる「分業」の結果、遠隔取引が行われ、その結果、発生させられる。そしてそれらは貨幣を伴えば売買を発生させ、同時に駆け引きの機会を与える。すなわち遠隔地取引はしばしば市場を発展させる。この点について私は、IT革命によってこの遠隔地取引がさらに容易になったことにより、市場は発展するという確信を得た。6章においては市場にある本源的生産要素は労働、土地、貨幣であるということが書かれている。不思議なことにこの三つは、商品ではないのだがこれらのものは、市場において当然のように売買されているという現実がある。そしてこれは現在においても同じことがいえるのではなからろうか。
7章、8章においてはスピーナムランド法について語られる。スピーナムランド法とはイギリスでできた法であり、低収入者には公共の基金から助成するといったものであった。結局、これにより賃金は底無しに低下してしまうこととなる。9章10章では貧困について語られる。18世紀前半には人口は国力であるとされていたために、貧困の本質は理解されていなかった。しかしながら社会というものの発見により貧困は経済的問題でなく基本的には、社会的問題という理解を得る。こうして社会は自己防衛しなければならないとオーウェンによっていわれるようになる。
第二部の後半部分、11章から18章においてはこの社会の自己防衛について書かれている。11章は社会の自己防衛と市場システムは矛盾するといことについて書かれている。すなわちそれは、経済的自由主義と社会防衛という二大組織原理の衝突である。すなわち自己調整的メカニズムを通して生産されるということは売るためではなくてはならなく、そうすると、労働と土地は売るために生産されたこととなる。ゆえに、生産要素の市場作用の抑制を目指さなくてはならないのである。12章、13章は自由主義的教義についてである。自由放任とは作られたものである。また自由市場となることで、管理、統率、干渉の必要性を取り除くどころか、その範囲を途方もなく広げたのである。またわれわれは、人間、自然、生産組織の防衛を別々に行なおうとする。それにより、いっそう緊密に結合した社会ができた。そしてそれは、全面的崩壊の危機に瀕した社会であった。14章は市場と人間についてである。社会防衛のため人間の市場に対する影響をなくすために社会立法、工場法、失業保険、とりわけ労働組合が作られたが、それらはほとんど目的を果たさなかったに等しかった。15章は市場と自然についてである。自然すなわち土地に結びついた社会的諸階層は市場システムと妥協する性向を有していたが、幅広い労働階級はそのルールを破り、それに挑んだのである。16章は市場と生産組織についてである。この生産組織ついても、保護主義的抵抗運動あうこととなった。このようにして、経済的自由主義は、人間、自然、生産組織の保護主義的抵抗運動にあい、新しい社会へと変化していった。17章、18章では従来の市場のシステムが崩壊し、またそれが社会の崩壊を意味するということについてである。今までに述べられたように、市場経済の自己調整機能がそこなわれたために、社会体の内部には緊張が累積的に生み出され、崩壊の緊張を持った諸単位と変化していった。
第3部(19章、20章、21章)においては、崩壊の危機を抱えた社会が政治に頼らなくてはならなくなったときについて起こったことがらが語られる。様々な市場経済の崩壊を抱え、世界は1920年代には、労働の問題、通貨の問題、為替の問題を抱え、解決の道はファシストえと向かっていった。そうして、日本、ドイツ、イタリアは崩壊しつつある平和機構を意図的に破壊した。さらにいえることは、この時期、勃興しつつあった、ファシズム、社会主義、ニューディールはすべて、自由放任の原理は放棄していたのであった。すなわち、この第2次世界大戦という国際システムの破綻は、市場社会に内在する傾向によって起こったものであるといえるだろう。また、著者いわく、こうした複合した市場の時代における自由とは、より豊かな自由を作り出す任務に誠実であるということである。
この本は19世紀文明の四つの制度が崩壊したことについて語られている。それは、バランス・オブ・パワー・システム、国際金本位制、自己調整的市場、自由主義的国家の四つである。そして、この四つのシステムのうち自己調整的市場がすべての母体であると語られている。この指摘は大変適確であると思う。すなわち、この世界のもとは経済にあるということだ。経済があり政治があるということである。
第一部(1章、2章)においては平和について書かれている。ヨーロッパにおいて19世紀はこの四つの制度により平和な百年だったとしている。この点において私は、一点付け加えたい。この時代、ヨーロッパの国々は東アジア、アフリカへ植民地を増やそうとしていた。ゆえに、東アジアではとても平和な百年といえる時代でなかったのであろう。ここでさらにいわれていることは、ロスチャイルドのような大金融家は単一の政府に従属していなかったため、戦争も彼らによって起こされたが、また平和も彼らによって組織されたという点である。しかしながら、1904年、ヨーロッパにおいて、それまで独立した勢力間のルーズな連合であったヨーロッパ協調は敵対する2グループに分かれてしまうこととなり、バランス・オブ・パワー・システムが崩壊する。そして、それによりヨーロッパにおいても、平和の百年は終ることとなる。この四つのシステムはイギリスで産まれそしてイギリスで崩壊することとなった。
第二部においては、上の四つのシステム母体となる自己調整的市場について語られる。特に前半部分(3章から10章)では、市場の歴史について語られる。3章から5章では、昔ながらの取引をする未開人などをサンプルに人間の本能的に取引をするかという点を文化人類学的に考察している。そして、既知の経済システムは互恵、再分配、家政すなわち対称性、中心性、自給自足の三つの原理ないしはその組み合わせでできているとしている。これはまさにその通りであろう。そしてこれに習慣や法、呪術や宗教がともに作用して、経済システムにおける各自の働きを究極的には保証する行動法則に、個々人を従わせたのである。すなわち習慣や法、呪術や宗教によって三つの原理に従わせたということである。次に市場パターンの進化についてである。市場は偏在によって生じる「分業」の結果、遠隔取引が行われ、その結果、発生させられる。そしてそれらは貨幣を伴えば売買を発生させ、同時に駆け引きの機会を与える。すなわち遠隔地取引はしばしば市場を発展させる。この点について私は、IT革命によってこの遠隔地取引がさらに容易になったことにより、市場は発展するという確信を得た。6章においては市場にある本源的生産要素は労働、土地、貨幣であるということが書かれている。不思議なことにこの三つは、商品ではないのだがこれらのものは、市場において当然のように売買されているという現実がある。そしてこれは現在においても同じことがいえるのではなからろうか。
7章、8章においてはスピーナムランド法について語られる。スピーナムランド法とはイギリスでできた法であり、低収入者には公共の基金から助成するといったものであった。結局、これにより賃金は底無しに低下してしまうこととなる。9章10章では貧困について語られる。18世紀前半には人口は国力であるとされていたために、貧困の本質は理解されていなかった。しかしながら社会というものの発見により貧困は経済的問題でなく基本的には、社会的問題という理解を得る。こうして社会は自己防衛しなければならないとオーウェンによっていわれるようになる。
第二部の後半部分、11章から18章においてはこの社会の自己防衛について書かれている。11章は社会の自己防衛と市場システムは矛盾するといことについて書かれている。すなわちそれは、経済的自由主義と社会防衛という二大組織原理の衝突である。すなわち自己調整的メカニズムを通して生産されるということは売るためではなくてはならなく、そうすると、労働と土地は売るために生産されたこととなる。ゆえに、生産要素の市場作用の抑制を目指さなくてはならないのである。12章、13章は自由主義的教義についてである。自由放任とは作られたものである。また自由市場となることで、管理、統率、干渉の必要性を取り除くどころか、その範囲を途方もなく広げたのである。またわれわれは、人間、自然、生産組織の防衛を別々に行なおうとする。それにより、いっそう緊密に結合した社会ができた。そしてそれは、全面的崩壊の危機に瀕した社会であった。14章は市場と人間についてである。社会防衛のため人間の市場に対する影響をなくすために社会立法、工場法、失業保険、とりわけ労働組合が作られたが、それらはほとんど目的を果たさなかったに等しかった。15章は市場と自然についてである。自然すなわち土地に結びついた社会的諸階層は市場システムと妥協する性向を有していたが、幅広い労働階級はそのルールを破り、それに挑んだのである。16章は市場と生産組織についてである。この生産組織ついても、保護主義的抵抗運動あうこととなった。このようにして、経済的自由主義は、人間、自然、生産組織の保護主義的抵抗運動にあい、新しい社会へと変化していった。17章、18章では従来の市場のシステムが崩壊し、またそれが社会の崩壊を意味するということについてである。今までに述べられたように、市場経済の自己調整機能がそこなわれたために、社会体の内部には緊張が累積的に生み出され、崩壊の緊張を持った諸単位と変化していった。
第3部(19章、20章、21章)においては、崩壊の危機を抱えた社会が政治に頼らなくてはならなくなったときについて起こったことがらが語られる。様々な市場経済の崩壊を抱え、世界は1920年代には、労働の問題、通貨の問題、為替の問題を抱え、解決の道はファシストえと向かっていった。そうして、日本、ドイツ、イタリアは崩壊しつつある平和機構を意図的に破壊した。さらにいえることは、この時期、勃興しつつあった、ファシズム、社会主義、ニューディールはすべて、自由放任の原理は放棄していたのであった。すなわち、この第2次世界大戦という国際システムの破綻は、市場社会に内在する傾向によって起こったものであるといえるだろう。また、著者いわく、こうした複合した市場の時代における自由とは、より豊かな自由を作り出す任務に誠実であるということである。
2008年2月26日火曜日
大組織から小組織へ
大型コンピュータからITへ
「ITはバブル」は皮肉な見方
IT革命の本質は正確に理解されていない
⇒IT革命の本質とは、「大型コンピュータと専用回線からなる、高価で信頼性の高いシステム」が「パソコンとインターネットからなる、信頼性は劣るが安価なシステム」へ移行したこと
・ 大型コンピュータと専用回線の時代
・ 大組織と小組織の格差が消滅
⇒IT革命より、大組織と小組織の情報処理能力における格差が消滅
・ パケット通信の思想
信頼性は低いが安いことが重要な技術
⇒誰もが気軽に使えるようになり、市場の範囲が著しく拡大したことを意味する。
ITは分権的経済との親和性が高い
ITが変える企業と企業の取引
拡大するBtoB
⇒部品調達のような企業間の電子商取引はBtoBによりコスト削減と生産効率の向上に大きな効果
GEやシスコの例
広がるeマーケットプレイス
コラボラティブ・コマースへの動き
⇒製造業全体がグローバルな分業体制に移行しつつある。
一九四〇年体制(2)-ITに対応できるか
ITは柔軟な企業間関係を要求する
系列維持ではままごとのようなもの
⇒取引相手が固定では、インターネット化しても大きなコスト削減効果を期待できない
ルノー・日産のオプティマ計画
日本的大組織とは相容れないIT
⇒系列企業との関係により、効率の悪いところは切るということができがたい
進展するBtoC
⇒料金規制と新規参入規制の撤廃が重要
日本はIT先進国にあらず
回線整備だけではIT革命は進展しない
⇒「ソフト」、とりわけ社会構造面の問題が重要である
IT時代の勝者は誰か
競争による価格低下
⇒コスト削減と同時に模倣する業者が参入し、価格引き下げへの競争圧力も働く
⇒参入は、超過利潤が正の限り続き、利潤は「正常利潤」まで下がる。
誰がどこで超過利潤を得るか
⇒模倣ができないものは、従来より高い利潤を手にする事ができる。(レント)
⇒供給の増加に時間がかかる場合も類似の利益が発生(準レント)
デジタル・デバイドという幻
⇒一時的・過渡的現象
IT革命のネガティブな側面
伝統的ビジネスの崩壊という破壊的効果
⇒「中抜き現象」により、失業が増加する。
⇒米国の場合こうした変動を経済全体として吸収できたが、日本では、きわめて大きな社会的摩擦と雇用不安が生じる
情報知識関連産業の危機
⇒情報の供給が無料化し、情報・知識関連産業が崩壊するという問題
「ITはバブル」は皮肉な見方
IT革命の本質は正確に理解されていない
⇒IT革命の本質とは、「大型コンピュータと専用回線からなる、高価で信頼性の高いシステム」が「パソコンとインターネットからなる、信頼性は劣るが安価なシステム」へ移行したこと
・ 大型コンピュータと専用回線の時代
・ 大組織と小組織の格差が消滅
⇒IT革命より、大組織と小組織の情報処理能力における格差が消滅
・ パケット通信の思想
信頼性は低いが安いことが重要な技術
⇒誰もが気軽に使えるようになり、市場の範囲が著しく拡大したことを意味する。
ITは分権的経済との親和性が高い
ITが変える企業と企業の取引
拡大するBtoB
⇒部品調達のような企業間の電子商取引はBtoBによりコスト削減と生産効率の向上に大きな効果
GEやシスコの例
広がるeマーケットプレイス
コラボラティブ・コマースへの動き
⇒製造業全体がグローバルな分業体制に移行しつつある。
一九四〇年体制(2)-ITに対応できるか
ITは柔軟な企業間関係を要求する
系列維持ではままごとのようなもの
⇒取引相手が固定では、インターネット化しても大きなコスト削減効果を期待できない
ルノー・日産のオプティマ計画
日本的大組織とは相容れないIT
⇒系列企業との関係により、効率の悪いところは切るということができがたい
進展するBtoC
⇒料金規制と新規参入規制の撤廃が重要
日本はIT先進国にあらず
回線整備だけではIT革命は進展しない
⇒「ソフト」、とりわけ社会構造面の問題が重要である
IT時代の勝者は誰か
競争による価格低下
⇒コスト削減と同時に模倣する業者が参入し、価格引き下げへの競争圧力も働く
⇒参入は、超過利潤が正の限り続き、利潤は「正常利潤」まで下がる。
誰がどこで超過利潤を得るか
⇒模倣ができないものは、従来より高い利潤を手にする事ができる。(レント)
⇒供給の増加に時間がかかる場合も類似の利益が発生(準レント)
デジタル・デバイドという幻
⇒一時的・過渡的現象
IT革命のネガティブな側面
伝統的ビジネスの崩壊という破壊的効果
⇒「中抜き現象」により、失業が増加する。
⇒米国の場合こうした変動を経済全体として吸収できたが、日本では、きわめて大きな社会的摩擦と雇用不安が生じる
情報知識関連産業の危機
⇒情報の供給が無料化し、情報・知識関連産業が崩壊するという問題
2008年2月23日土曜日
最近mixiに思うこと、そしてフィード、ソーシャルグラフ
さっきmixiに久々にログインした。
センスのあるマイフレンドの日記を読み、
なんかだるくなってログアウトした。
このだるさ。原因は二つ。
・友達の日記更新がわざわざログインしないと見れないこと
・そもそも、全ての友達がmixiでつながっていないこと
本名でブログをやることの難しさから、
クローズドで始まったわけだが
そろそろオープン化を検討してもいいんじゃない?
そしたらフィードで情報を吐き出して、
わざわざログインする必要がない。
全てをコンプリートしたいが、なかなか難しい。
マイフレンドリストを共通のフォームで流用できるようしたい。
別件として今後どうして情報収集するのか
RSSフィードで情報を集めているけれど、
どうしても全てRSS経由で集めることが出来ない。
特に動画や音楽。
またソーシャルブックマークにおける注目記事。
これはかなり参考になる。
がランキングテクノロジーをどう構成するか。
これについては別の機会に考えよう。
センスのあるマイフレンドの日記を読み、
なんかだるくなってログアウトした。
このだるさ。原因は二つ。
・友達の日記更新がわざわざログインしないと見れないこと
・そもそも、全ての友達がmixiでつながっていないこと
本名でブログをやることの難しさから、
クローズドで始まったわけだが
そろそろオープン化を検討してもいいんじゃない?
そしたらフィードで情報を吐き出して、
わざわざログインする必要がない。
全てをコンプリートしたいが、なかなか難しい。
マイフレンドリストを共通のフォームで流用できるようしたい。
別件として今後どうして情報収集するのか
RSSフィードで情報を集めているけれど、
どうしても全てRSS経由で集めることが出来ない。
特に動画や音楽。
またソーシャルブックマークにおける注目記事。
これはかなり参考になる。
がランキングテクノロジーをどう構成するか。
これについては別の機会に考えよう。
2008年2月16日土曜日
知ってる人
知っている人からこないだメールが来た。
どうやら就職なさったらしい。
こうやって書くと誰かが僕の記事を見てくれる。
これは価値のあることだなぁと思う。
なぜなら、僕に対してアテンションを払ってくれているから。
値段、価値、注目、僕らは何に価値を求めたらいいんだろう。
はい、更新しました。
どうやら就職なさったらしい。
こうやって書くと誰かが僕の記事を見てくれる。
これは価値のあることだなぁと思う。
なぜなら、僕に対してアテンションを払ってくれているから。
値段、価値、注目、僕らは何に価値を求めたらいいんだろう。
はい、更新しました。
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