2008年2月27日水曜日

大転換 のまとめ

「大転換」のまとめ

 この本は19世紀文明の四つの制度が崩壊したことについて語られている。それは、バランス・オブ・パワー・システム、国際金本位制、自己調整的市場、自由主義的国家の四つである。そして、この四つのシステムのうち自己調整的市場がすべての母体であると語られている。この指摘は大変適確であると思う。すなわち、この世界のもとは経済にあるということだ。経済があり政治があるということである。
 第一部(1章、2章)においては平和について書かれている。ヨーロッパにおいて19世紀はこの四つの制度により平和な百年だったとしている。この点において私は、一点付け加えたい。この時代、ヨーロッパの国々は東アジア、アフリカへ植民地を増やそうとしていた。ゆえに、東アジアではとても平和な百年といえる時代でなかったのであろう。ここでさらにいわれていることは、ロスチャイルドのような大金融家は単一の政府に従属していなかったため、戦争も彼らによって起こされたが、また平和も彼らによって組織されたという点である。しかしながら、1904年、ヨーロッパにおいて、それまで独立した勢力間のルーズな連合であったヨーロッパ協調は敵対する2グループに分かれてしまうこととなり、バランス・オブ・パワー・システムが崩壊する。そして、それによりヨーロッパにおいても、平和の百年は終ることとなる。この四つのシステムはイギリスで産まれそしてイギリスで崩壊することとなった。
 第二部においては、上の四つのシステム母体となる自己調整的市場について語られる。特に前半部分(3章から10章)では、市場の歴史について語られる。3章から5章では、昔ながらの取引をする未開人などをサンプルに人間の本能的に取引をするかという点を文化人類学的に考察している。そして、既知の経済システムは互恵、再分配、家政すなわち対称性、中心性、自給自足の三つの原理ないしはその組み合わせでできているとしている。これはまさにその通りであろう。そしてこれに習慣や法、呪術や宗教がともに作用して、経済システムにおける各自の働きを究極的には保証する行動法則に、個々人を従わせたのである。すなわち習慣や法、呪術や宗教によって三つの原理に従わせたということである。次に市場パターンの進化についてである。市場は偏在によって生じる「分業」の結果、遠隔取引が行われ、その結果、発生させられる。そしてそれらは貨幣を伴えば売買を発生させ、同時に駆け引きの機会を与える。すなわち遠隔地取引はしばしば市場を発展させる。この点について私は、IT革命によってこの遠隔地取引がさらに容易になったことにより、市場は発展するという確信を得た。6章においては市場にある本源的生産要素は労働、土地、貨幣であるということが書かれている。不思議なことにこの三つは、商品ではないのだがこれらのものは、市場において当然のように売買されているという現実がある。そしてこれは現在においても同じことがいえるのではなからろうか。
7章、8章においてはスピーナムランド法について語られる。スピーナムランド法とはイギリスでできた法であり、低収入者には公共の基金から助成するといったものであった。結局、これにより賃金は底無しに低下してしまうこととなる。9章10章では貧困について語られる。18世紀前半には人口は国力であるとされていたために、貧困の本質は理解されていなかった。しかしながら社会というものの発見により貧困は経済的問題でなく基本的には、社会的問題という理解を得る。こうして社会は自己防衛しなければならないとオーウェンによっていわれるようになる。
 第二部の後半部分、11章から18章においてはこの社会の自己防衛について書かれている。11章は社会の自己防衛と市場システムは矛盾するといことについて書かれている。すなわちそれは、経済的自由主義と社会防衛という二大組織原理の衝突である。すなわち自己調整的メカニズムを通して生産されるということは売るためではなくてはならなく、そうすると、労働と土地は売るために生産されたこととなる。ゆえに、生産要素の市場作用の抑制を目指さなくてはならないのである。12章、13章は自由主義的教義についてである。自由放任とは作られたものである。また自由市場となることで、管理、統率、干渉の必要性を取り除くどころか、その範囲を途方もなく広げたのである。またわれわれは、人間、自然、生産組織の防衛を別々に行なおうとする。それにより、いっそう緊密に結合した社会ができた。そしてそれは、全面的崩壊の危機に瀕した社会であった。14章は市場と人間についてである。社会防衛のため人間の市場に対する影響をなくすために社会立法、工場法、失業保険、とりわけ労働組合が作られたが、それらはほとんど目的を果たさなかったに等しかった。15章は市場と自然についてである。自然すなわち土地に結びついた社会的諸階層は市場システムと妥協する性向を有していたが、幅広い労働階級はそのルールを破り、それに挑んだのである。16章は市場と生産組織についてである。この生産組織ついても、保護主義的抵抗運動あうこととなった。このようにして、経済的自由主義は、人間、自然、生産組織の保護主義的抵抗運動にあい、新しい社会へと変化していった。17章、18章では従来の市場のシステムが崩壊し、またそれが社会の崩壊を意味するということについてである。今までに述べられたように、市場経済の自己調整機能がそこなわれたために、社会体の内部には緊張が累積的に生み出され、崩壊の緊張を持った諸単位と変化していった。
 第3部(19章、20章、21章)においては、崩壊の危機を抱えた社会が政治に頼らなくてはならなくなったときについて起こったことがらが語られる。様々な市場経済の崩壊を抱え、世界は1920年代には、労働の問題、通貨の問題、為替の問題を抱え、解決の道はファシストえと向かっていった。そうして、日本、ドイツ、イタリアは崩壊しつつある平和機構を意図的に破壊した。さらにいえることは、この時期、勃興しつつあった、ファシズム、社会主義、ニューディールはすべて、自由放任の原理は放棄していたのであった。すなわち、この第2次世界大戦という国際システムの破綻は、市場社会に内在する傾向によって起こったものであるといえるだろう。また、著者いわく、こうした複合した市場の時代における自由とは、より豊かな自由を作り出す任務に誠実であるということである。

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