2008年4月14日月曜日

自己概念の形成について


自己概念の形成とは、自己についての認識、すなわち自分自身についての一貫した認知の成立である。

そしてその形成過程には大きく分けてふたつある。自分自身の観察、評価と周囲の人々からの言動や態度、評価である。

そして自己概念の意味とは過去や現在における自分の経験を統合した知識を用いて、何をしたい、何をしようとするのかといった将来の行動や意識のあり方を左右し、自己の存在意義、人生の意味を見つけることである。

これからそれらについて詳しく解説していきたい。自・他の物理的境界の分化、自分で自分のからだを刺激したときの二重の感覚経験、鏡像での自己認知の三つは・感覚的・身体的自己の成立を示すものであるが、このうち前のふたつはある程度成長すれば、大方の動物が持っていると思われる。その限りでは、感覚的自己認知は、動物にも存在するといえる。しかし、鏡像での自己認知は、人間、またせいぜい人間に近い高次な動物にしか存在しない。この基準でいえば原初的な感覚的自己もすべての動物にない、人間にほぼ固有のもの、“自己”の認識は高次なものといえるだろう。

人間の子供は、感覚的・身体的自己から、すすんで外からの知覚をしないより内面的な面について自己の認識を広げ、深めていく。このときの感覚的・知覚的自己に対して、認知的自己といわれ、これが自己概念にあたる。

そしてこのときの変動は私的自己から公的自己への展開であり、ここでそれらのズレや混乱を経験し、統合することによって自己像は感覚的なものから認知的なものへと変化されていくのである。このような自己認識の広がり・多様化と同時に、どのような領域の、どんな特徴が“自己”として、より強く認識されるかにも変化が生じる。その特徴のひとつは、知覚的・外面的なものから、内面的特長の把握への変化である。持ちもの、名前、住んでいる場所、身体的特徴など、自分に密接した物理的事実、外から知覚できるような特徴が幼少期では中心をしめていたが、その後、対人関係の中で自分が示す傾向、気質や個性といった、必ずしも直接外から知覚することのできない内面的な特徴がしだいに大きなウェイトをしめてくる。これらの内面的特徴は、事実の単なる知覚以上に、いくつかの行動や日常の感情などから推論したり総合的に判断する、より高次の思考過程によって導き出されるものである。

自分の直接経験だけにねざした自己像に加えて、他者から自分がどう見られているかを把握することが可能になることによって、自己の認識はいっそう多様なものとなるのである。他人が自分をどう思っているか、自分のことをどう見ているか、つまり社会的自己がとらえられると、主観的にだけとらえてきた私的自己は一時的に混乱するが、その後修正されたり補足されたりする。他者から見た社会的自己の発見は、単純に私的自己にとどまっていたときとは違って、自己に対する不満や批判を生むことになる。社会的空間・対人関係の広がりも自己認識に大きく影響する。生活空間が大きくなることによって、自己と他者との移動や関係に認識はいっそう進み、これは同時に自己についての認識の発達もうながす。また、だんだん個人空間を持つようになり、自分と他人との間に適当な距離をとる、というふうになる。その意味でも、個人空間の拡大・定着は、“自己”の確立を示し、自分の領域の主張とみなすことができよう。

またこの個人空間は人によって差をつけ、未知の人より未知の人に、また親しいもの、同性のものにより近い空間行動をとるようになる。そしてあとにも述べるがこれが自己開放性とかかわってくる。そしてこの、自分と他人の間に適当なまをとれるということが、自・他の分化・識別、個別化の成立のしるしであることは分裂病患者にこれが難しいことからも示唆される。

彼らは、他人との距離のとり方が下手で、通常の人から見ると異常に近すぎたり、逆に適当な距離に近づけないというように不自然だという。自己認識はこのように多様化・分化と同時により的確で安定したものとなる。そして他者に対する共感をもてるほど他人の身になり、また他者の立場にたって感じることができるようになると、やがて自分のことも、他者の観点から眺められるようになる。自分の主観だけに頼った一方的な判断から、自己を客体化し客観的に認知できるようになると、他者の判断と自己評価が一致してくる。またこの私的自己と公的自己のズレは個人差も大きい。

たとえば、自分が他人からどう見られ、どう評価されているかを終始気にしている人がいる一方、他の人が見ているのとはまるでズレた独り善がりの自負、自信にあふれた人がいる。いずれも他者からの評価への敏感さにかかわり、それが極端に強いか、弱いかなのである。いずれの場合も、自己についての認識、自己概念が安定性と柔軟さを兼ね備えにくい。自己概念の的確さは、このような他者からのその人への評価との一致やズレからとらえることができる。社会的不適応の一因はこのズレが大きいことにあると考えられる。またそれゆえ心理的療法の主要な目的がこれにおかれているのである。

発達の初期ほど、自己評価が甘く、特に社会的に望ましくない特性を自分に課題に認める傾向が強いものであった。しかし、他者の批判や態度から、社会的に望ましくない特性も自分が持っていることを知らされ、それを認め自己への甘い評価を修正することによって、自己概念は現実的で適切なものとなるのである。このような現実的自己概念は、どのように獲得されるのだろうか。他者との接触により中で果たされていくこの過程において、他者との接触を多く持つほど、それだけ多様な評価を受けることとなるだろう。しかし、接触の多さは必ずしも他者との心理的情報の交換を豊かにすることにはつながらない。これは、ジェラードをはじめ多くの研究者が、自己開放性の個人差として問題にしているところである。他人と接しても、自己の私的・内的な面を相手に開き、また相手からもそうした打ち解けた交流を持たなければ、他者評価によって自己評価を修正し現実的なものとしていくことは起こりにくい。またジェラードは、この自己開放性は適応や精神衛生と関係があることを主張している。以上が自己概念の形成についてである。

3 コメント:

kano さんのコメント...

はじめまして。
自己概念に関して、とても分かりやすくまとめてあり、大変よく理解できました。

もし、よろしければ、出典など教えていただけないでしょうか? もっと詳しく勉強したいと思いコメントさせていただきました。

よろしくお願いいたします。

masumi さんのコメント...

コメントありがうございます!

誤字修正と適宜改行を入れさせていただきました。この内容はかなり以前にまとめたのもので、記憶がかなり曖昧になっております。

複数の文献を読んで自己の理解を含めてまとめたとは思うのですが、ベースはカール・ロジャースの理論を元にしたかと思います。

ご参考になれば、幸いです。

kano さんのコメント...

さっそく教えていただいてありがとうございます!
もう少し勉強してみます★