2010年12月6日月曜日
鶏口牛後
2010年の最後の月が始まりました。まだ12月も始まったばかりなので振り返るのは少し早いんでしょうが、一年経つのはあっという間なのに、一年前はずいぶん昔な気がします。
最近、考えていることは独創性の恐怖ということ。何かを始めるときに、独創性、つまりは何か1つでも「唯一である」ということが無いと、全て無意味なんじゃないかと思う恐怖心に支配され過ぎているということ。
確かにウェブの世界は特にその傾向が顕著で、似た様なサービスは消えていってしまう。劣化コピーや複製品は消えていく。
一方、独創性というものはそれ単体では存在しないということは良く忘れられる。独創性のあるサービス、独創性のある音楽、映画、独創性のある何かは存在するけども、独創性自体というものは無い。だから独創性を追い求めていくと迷路に入り込む。
何かをつくる過程において、その質が高いとか低いとかはあるけれども、独創的なものは生まれてくる。知識は行動を縛り付けるものでは無く、何かをする方法を教えてくれるものでありたい。だからあまり考えすぎてしまうのも考えものだなぁとか考えたりしてる。
2010年11月5日金曜日
27 2 28
上昇志向も破壊衝動も孤独も躁も無自覚な優しさも全てまとめて小さなことに感じることがある。それはどんどん現実感から離れていく「要し得ない」感覚だ。この感覚は何だろうと考えていて、しばらくすると考えることに飽きて、別のことを考え始めている。考えは長くは続かない。感覚は常にそこにある。そういったことを通して僕は結構、そういう感覚を大事にしているということに気がついた。僕は四六時中、同じことなんて考えられない。放っていおいても腹は減るし、眠くはなるし、年も取る。だから28になっても、消え去るより、燃え尽きるのはまだ早い。
2010年9月15日水曜日
空の高さと地平線
空の高さを表現しようとするとき地平線があったほうが分かりやすい。ただ、空は晴れていたほうがいい。空は地平線の延長ではないから。感性や感覚を伝えようとするとき論理があったほうが分かりやすい。そしてやっぱり、感性や感覚は突き抜けていた方がいい。そんなことを思った。
時間の長さを感じようとするならモノがあったほうが分かりやすい。モノがどう変わったかで、どれだけ時間が経ったか分かるから。逆に時間の長さを感じたくなければ変わらないものを見続ければいい。思い出に浸るとかね。
スーパーマリオブラザーズが生まれて25周年だそうだ。スーパーマリオの思い出に浸れば時間を超えて懐かしい感覚が蘇る。今のゲームを見れば25年間の歳月を感じずにはいられない。そんなことを思った。
2010年8月23日月曜日
朝焼けと最近の感覚
2週間くらい前だと思う。朝方に家に帰るとき綺麗な朝焼けが出ていたので思わず写真をとった。暫く文章が書けない状態が続いているんだけれども、その分、ぼんやりと考え事をすることが増えた。ぼんやりと考えてるから、ちょっと前に何を考えていたのかなんてことはどこかに消えてしまう。難しい本を読んでみて、なんとなく分かった気になって、暫らく経つと何が書いてあったかが思い出せない。そんな感覚によく似ている。
そこでちょっと思う。消えてしまった記憶は全て無いということと同じなんだろうか。ぼんやり感じた感覚は本当に消えてしまったのだろうか。タバコの煙が空気に馴染んで透明になるように溶けていっただけなんじゃないだろうか。
ぼんやりとした感覚の中で過ごしたことは、なんとなく溶けていってしまった気がしている。この数カ月間はそんな感じだった。八王子城跡に行こうとして迷子になったり、仙台スケートパークに行ったり、インセプションを見たり、スパ4をやったり、アリエッティを見たり、横井軍平トークショーに行ったり、その間に読んだ数冊の本もあまり記憶に残っていなかったりする。
人に何かを伝えようとするとストーリーが必要で、そのストーリーは記憶につながる。例えば小学生の時の夏休みと言われて、何かを伝えられる人は、夏休みのストーリーを持っていたりする。だけど僕の中に森の中でセミの鳴き声を聞いている夏休みの瞬間がある。僕がなぜそこにいたのか分からないし、ひょっとしたら頭の中でイメージしたものが現実と重なっているだけなのかも知れないが。イメージだとしても、その中の何個かは現実だろうけどね。
まあだから記憶に残っていないと思いながらも、溶けていった瞬間と瞬間は写真の様に覚えていたりする。僕らは瞬間を伝える方法を知らないだけなのかも知れない。
2010年7月20日火曜日
2010年6月3日木曜日
2010年5月6日木曜日
スティーブ・ジョブズのスピーチ
アップルCEOスティーブ・ジョブズの、スタンフォード大学でのスピーチを和訳してみました。既に多くの方が翻訳しているのは知りつつも、自分で理解してみたくなったので挑戦してみました。ひょっとしたら間違いがあるかも知れませんが以下和訳。
Thank you. I'm honored to be with you today for your commencement from one of the finest universities in the world. Truth be told, I never graduated from college and this is the closest I've ever gotten to a college graduation.
君たちと、この素晴らしい大学の学位授与式にいれることをたいへん光栄に思います。実を言うと私は大学を卒業していません。だからこれが私にとっては卒業式のようなものです。
Today I want to tell you three stories from my life. That's it. No big deal. Just three stories. The first story is about connecting the dots.
今日は私の人生から3つの話をしたいと思います。それだけです。たいしたことじゃない。たった3つだけ。最初の話は....「点と点をつなげる」ということ。
I dropped out of Reed College after the first six months but then stayed around as a drop-in for another eighteen months or so before I really quit. So why did I drop out? It started before I was born. My biological mother was a young, unwed graduate student, and she decided to put me up for adoption. She felt very strongly that I should be adopted by college graduates, so everything was all set for me to be adopted at birth by a lawyer and his wife, except that when I popped out, they decided at the last minute that they really wanted a girl. So my parents, who were on a waiting list, got a call in the middle of the night asking, "We've got an unexpected baby boy. Do you want him?" They said, "Of course." My biological mother found out later that my mother had never graduated from college and that my father had never graduated from high school. She refused to sign the final adoption papers. She only relented a few months later when my parents promised that I would go to college.
私は入学して半年でリード大学を退学しました。ただそこからさらに1年半はもぐりの学生として過ごしました。なぜ私が大学をやめたのか、その話は私が生まれる前まで遡ります。
私の生みの母は若くして身ごもりました。未婚で大学院生でした。そして養子に出す決意をしました。「彼女」は「私」を大卒者の人に育てて貰いたいと強く望んでいました。そして私が生まれたときには弁護士夫婦が引き取られるよう、全てが決まっていました。ただ私が生まれ落ちたとき、彼らは本当は女の子を望んでいたことに気づいたこと以外は。
私の「両親」は夜中に縁組み待ちリストに記載されている家に電話をしました。「望まぬ子供を授かりました。「彼」が欲しいでしょうか」彼らは「もちろん」と答えました。
私の生みの親は母は大学を卒業しておらず、父は高校も卒業していないということをあとで知りました。「彼女」は書類のサインを拒みました。それから何ヶ月か経ち、私の両親が「私」を大学卒業させると約束した時にやっと「彼女」は了承しました。
This was the start in my life. And seventeen years later, I did go to college, but I naïvely chose a college that was almost as expensive as Stanford, and all of my working-class parents' savings were being spent on my college tuition. After six months, I couldn't see the value in it. I had no idea what I wanted to do with my life, and no idea of how college was going to help me figure it out, and here I was, spending all the money my parents had saved their entire life. So I decided to drop out and trust that it would all work out OK. It was pretty scary at the time, but looking back, it was one of the best decisions I ever made. The minute I dropped out, I could stop taking the required classes that didn't interest me and begin dropping in on the ones that looked far more interesting.
これが私の人生の始まりです。そして17年後、私は大学に行きました。ただ何の考えも無しに学費の高い、スタンフォード並の、大学を選びました。そして私の両親の労働による蓄えは学費に消えて行くようになりました。半年後、私はそれに価値を見出せなくなりました。私はわからなくなりました。本当は何がしたいのか、そして大学が何をしてくれるのか。そして、私は両親の老後の貯蓄を使い果たしている。
だから私は大学をやめました。そして、それで全てうまくいくと信じることにしたのです。その時はすごく怖かった、ただ振り返ってみると、それは私の人生最大の最良の決断だったと思います。大学をやめてしばらくの後、私は、興味の無い授業を受ける必要はなくなり、もっと面白そうな授業にもぐりこむことができるようになりました。
It wasn't all romantic. I didn't have a dorm room, so I slept on the floor in friends' rooms. I returned Coke bottles for the five-cent deposits to buy food with, and I would walk the seven miles across town every Sunday night to get one good meal a week at the Hare Krishna temple. I loved it. And much of what I stumbled into by following my curiosity and intuition turned out to be priceless later on. Let me give you one example.
すべてが夢のようなことばかりという訳ではありませんでした。寮の部屋は無かったので、友人の部屋の床で寝ました。食べるものを買う為の5セントを手に入れるのにコーラの瓶を集めたり、日曜の夜の食事にありつく為にハレ・クリシュナ教会まで街を越えて7マイル(11.2キロ)も歩いたりしました。私はそれが好きでした。私の直感と好奇心に従ってやってきた多くのことが、後になって、かけがえなの無いものに変わりました。ひとつ例を挙げます。
Reed College at that time offered perhaps the best calligraphy instruction in the country. Throughout the campus every poster, every label on every drawer was beautifully hand-calligraphed. Because I had dropped out and didn't have to take the normal classes, I decided to take a calligraphy class to learn how to do this. I learned about serif and sans-serif typefaces, about varying the amount of space between different letter combinations, about what makes great typography great. It was beautiful, historical, artistically subtle in a way that science can't capture, and I found it fascinating.
リード大学は当時はたぶん、国内では最高のカリグラフィ(文字装飾)を教えていました。キャンパスの至る所に素晴らしく美しい手書きのカリグラフィが描かれていました。私は大学を辞めていましたから、通常の授業に出る必要がなかったので、カリグラフィの授業に参加し学ぶことにしました。私はセリフ体やサンセリフ体、異なる字間でどのように空間を配置するか、素晴らしいタイポグラフィをより良くする方法を学びました。それは美しく、歴史的で、科学では捉えることのできない芸術的な繊細さでした。そして、その魅力に気づきました。
None of this had even a hope of any practical application in my life. But ten years later when we were designing the first Macintosh computer, it all came back to me, and we designed it all into the Mac. It was the first computer with beautiful typography. If I had never dropped in on that single course in college, the Mac would have never had multiple typefaces or proportionally spaced fonts, and since Windows just copied the Mac, it's likely that no personal computer would have them.
私の人生においてこれらのことは何一つ役に立ちそうにないものでした。しかし10年後、私たちが最初のマッキントッシュ・コンピューターをデザインしたとき、全てが私の中によみがえりました。そしてそれら全てをマックの中に注ぎ込みました。そして美しいタイポグラフィを持った最初のコンピューターとなりました。もし、私が、あの時、あの1つの講義にもぐり込まなければ、マックは複数の書体を持つことも無ければ、プロポーショナルフォントを持つことも無かったでしょう。そして...ウィンドウズはただマックのコピーなので、そうしたフォントを持つコンピューターは無かったということになります。
If I had never dropped out, I would have never dropped in on that calligraphy class and personals computers might not have the wonderful typography that they do.
私が大学を辞めなければ、あのカリグラフィの講義にもぐり込まなかっただろう。そして今ある様な素晴らしいタイポグラフィを持つコンピューターは生まれなかったでしょう。
Of course it was impossible to connect the dots looking forward when I was in college, but it was very, very clear looking backwards 10 years later. Again, you can't connect the dots looking forward. You can only connect them looking backwards, so you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something--your gut, destiny, life, karma, whatever--because believing that the dots will connect down the road will give you the confidence to follow your heart, even when it leads you off the well-worn path, and that will make all the difference.
もちろん、大学にいた時、将来を見通して点と点をつなげるなんてことは不可能だった。ただ、10年前を振り返ってみると、はっきりと、とてもはっきりとつながっていることが見えるのです。将来を見通して点と点をつなげることなんてできやしない。振り返ってみて点と点をつなげることができる。だから、いつかどこかで点がつながると信じなければならないのです。根性、運命、人生、カルマ....何でもいい。何でもいいから信じなければならない。歩んで行く道で点と点がつながる、そう信じることで自分の心に従って生きていくことができる、それによって人とは違う道にいくことになっても、そうすることが大事なのです。
My second story is about love and loss. I was lucky. I found what I loved to do early in life. Woz and I started Apple in my parents' garage when I was twenty. We worked hard and in ten years, Apple had grown from just the two of us in a garage into a $2 billion company with over 4,000 employees. We'd just released our finest creation, the Macintosh, a year earlier, and I'd just turned thirty, and then I got fired. How can you get fired from a company you started? Well, as Apple grew, we hired someone who I thought was very talented to run the company with me, and for the first year or so, things went well. But then our visions of the future began to diverge, and eventually we had a falling out. When we did, our board of directors sided with him, and so at thirty, I was out, and very publicly out. What had been the focus of my entire adult life was gone, and it was devastating. I really didn't know what to do for a few months. I felt that I had let the previous generation of entrepreneurs down, that I had dropped the baton as it was being passed to me. I met with David Packard and Bob Noyce and tried to apologize for screwing up so badly. I was a very public failure and I even thought about running away from the Valley. But something slowly began to dawn on me. I still loved what I did. The turn of events at Apple had not changed that one bit. I'd been rejected but I was still in love. And so I decided to start over.
2つ目の話は「愛と喪失」について。私は幸運でした。人生の早い段階で愛すべきものを見つけました。ウォズと私が両親のガレージでアップルをはじめたのは20歳の時でした。10年間必死で働いて、アップルはたったふたりの会社から、従業員4000人を抱える20億ドルの会社になりました。私たちの最初の作品、マッキントッシュを作った1年後、私がちょうど30歳になった時、私は解雇されました。
一体どうやったら自分で始めた会社で解雇されるだろうと思うかもしれません。それはアップルが大きくなり、私たちは一緒に働いてもらえる非常に優秀な人物を採用した。そして、最初の1年くらいはうまくいっていた。しかし、次第に将来のビジョンについて意見が分かれて行った。そして仲間割れをした。そうした時、取締役達は彼の方についた。30歳の時、私は追い出された。とても大々的にね。私が人生を掛けてきたものが消え、破壊されました。数ヶ月の間、本当に何をしていいのか分からなかった。私は1つ前の世代の起業家たちを失望させたと感じました。私は彼らから渡されたバトンを落としてしまったのです。私はディビット・パッカードとボブ・ノイスに会い、全てを台無しにしてしまったことを詫びようとしました。私は落伍者として知れ渡り、私はシリコンバレーから逃げようとさえ思いました。しかし、ゆっくりと何かが見え始めていました。まだ、私は私がしていたことを愛していました。アップルでの出来事も、そのことに何ら関係はありませんでした。私は拒否された。しかし、私はまだ愛している。だから、また一から出直すことを決めました。
I didn't see it then, but it turned out that getting fired from Apple was the best thing that could have ever happened to me. The heaviness of being successful was replaced by the lightness of being a beginner again, less sure about everything. It freed me to enter one of the most creative periods in my life. During the next five years I started a company named NeXT, another company named Pixar and fell in love with an amazing woman who would become my wife. Pixar went on to create the world's first computer-animated feature film, "Toy Story," and is now the most successful animation studio in the world.
その時は分かりませんでしたが、アップルに解雇されたことが私に起きた最良の出来事に変わったのです。全てのことを固く信じることがなくなり成功者としての重みが、また、再び挑戦者としての軽さに変わったのです。そして、そのことが私の人生において、最も創造的な時期に入る手助けをしてくれました。その後の5年間で、NeXTとPixarという会社をはじめ、将来の妻となる素晴らしい女性と恋に落ちました。Pixarはトイ・ストーリーという世界最初のコンピューターアニメーションを作り、世界中で最も成功してるアニメーションスタジオになりました。
In a remarkable turn of events, Apple bought NeXT and I returned to Apple and the technology we developed at NeXT is at the heart of Apple's current renaissance, and Lorene and I have a wonderful family together.
思いがけないことに、アップルがNeXTを買収し、私はアップルに戻ることになりました。NeXTで開発した技術は、いまのアップルの復活の中心となっています。そしてロレーヌと私は素晴らしい家庭を築いています。
I'm pretty sure none of this would have happened if I hadn't been fired from Apple. It was awful-tasting medicine but I guess the patient needed it. Sometimes life's going to hit you in the head with a brick. Don't lose faith. I'm convinced that the only thing that kept me going was that I loved what I did. You've got to find what you love, and that is as true for work as it is for your lovers. Your work is going to fill a large part of your life, and the only way to be truly satisfied is to do what you believe is great work, and the only way to do great work is to love what you do. If you haven't found it yet, keep looking, and don't settle. As with all matters of the heart, you'll know when you find it, and like any great relationship it just gets better and better as the years roll on. So keep looking. Don't settle.
アップルを解雇されていなければ、これらの素晴らしいことは何一つとして起こりませんでした。そう確信しています。ひどい味の薬でしたが患者にはそれが必要だったのだろうと思います。人生とは時々、レンガで殴られた様なひどいことも起こります。でも決して信念を失ってはいけない。私がここまでやってこれた理由は、ただ私がしてきたことを愛していたから、唯一それだけです。愛するのものを見つけて下さい。それは恋愛でも仕事でも同じです。また君たちの仕事は人生の大きな部分を占めていくでしょう。そして満足する唯一の方法は素晴らしいと信じれる仕事をやることです。そして素晴らしい仕事をする唯一の方法は自分がすることを愛することです。まだそれを見つけていないのならば探し続けて下さい。やめないでください。心の問題と一緒で見つければきっと分かるはずです。そして素晴らしい恋愛と一緒で年を経るごとにどんどん良くなっていくきます。だから探し続けて下さい。決してやめてはいけない。
My third story is about death. When I was 17 I read a quote that went something like "If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right." It made an impression on me, and since then, for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself, "If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?" And whenever the answer has been "no" for too many days in a row, I know I need to change something. Remembering that I'll be dead soon is the most important thing I've ever encountered to help me make the big choices in life, because almost everything--all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure--these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important. Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose. You are already naked. There is no reason not to follow your heart.
3番目の話は「死」について。17歳の時、こんな文章を読みました。「一日一日を最後の日だと思って生きなさい、いつしかそれは本当になるでしょう」それがすごく衝撃をうけました。そしてその時以来、33年間、私は毎朝、鏡の前の自分に問いかけてきました。「もし今日は人生最期の日だったら、今日することは本当にやりたいことだろうか」そしてその答えが「ノー」という日が続くようであれば、何か変える必要があるということです。自分と死が隣り合わせであるということを忘れないこと、それが私の人生のでの決断を下す際に大きな手助けとなりました。なぜなら、ほとんどのこと、ほとんど全ての外からの期待、プライド、失敗や屈辱の恐怖、こういったすべてのことは死と向き合った瞬間に消えるのです。そして最後には本当に大事なものだけが残るのです。いつかは死ぬということを覚えておくこと。それが私の知る限り、何かを失うという思考から逃れる最良の方法です。既に裸なんです。自分の心に従わない理由は無い。
About a year ago, I was diagnosed with cancer. I had a scan at 7:30 in the morning and it clearly showed a tumor on my pancreas. I didn't even know what a pancreas was. The doctors told me this was almost certainly a type of cancer that is incurable, and that I should expect to live no longer than three to six months. My doctor advised me to go home and get my affairs in order, which is doctors' code for "prepare to die." It means to try and tell your kids everything you thought you'd have the next ten years to tell them, in just a few months. It means to make sure that everything is buttoned up so that it will be as easy as possible for your family. It means to say your goodbyes.
1年程前、私はガンと診断されました。朝の7時半にスキャンを受け、はっきりとすい臓に腫瘍が映っていました。私はすい臓が何かなのさえ知りませんでした。医師たちはほぼ治療することのできないガンだと断定していいと言いました。そして生きて3〜6ヶ月だと言いました。主治医は身の回りのことを片付けるよう言いました。そっれは死の準備をするようにという意味です。そしてそれは、私が今後10年かけて伝えたかったことを伝えておけということです。ほんの数ヶ月の間に。それは家族が楽な気持ちになれるようにしっかしりケリをつけるということです。つまりさよならを告げるということです。
I lived with that diagnosis all day. Later that evening I had a biopsy where they stuck an endoscope down my throat, through my stomach into my intestines, put a needle into my pancreas and got a few cells from the tumor. I was sedated but my wife, who was there, told me that when they viewed the cells under a microscope, the doctor started crying, because it turned out to be a very rare form of pancreatic cancer that is curable with surgery. I had the surgery and, thankfully, I am fine now.
私は一日中、その診断結果と過ごしました。その後の夕方、喉から内視鏡を突っ込みバイオプシーを受けました。内視鏡は胃を通って腸内に入り。すい臓に針を突き刺し、腫瘍からいくつかの細胞を採取しました。私は鎮静状態でしたが、妻が伝えてくれたことによれば、顕微鏡の細胞を見た医師が泣き始めたそうです。ごくまれな形態をしたすい臓ガンで、それは手術で治療することができたからです。私は手術を受け、ありがたいことに、今は元気です。
This was the closest I've been to facing death, and I hope it's the closest I get for a few more decades. Having lived through it, I can now say this to you with a bit more certainty than when death was a useful but purely intellectual concept. No one wants to die, even people who want to go to Heaven don't want to die to get there, and yet, death is the destination we all share. No one has ever escaped it. And that is as it should be, because death is very likely the single best invention of life. It's life's change agent; it clears out the old to make way for the new. right now, the new is you. But someday, not too long from now, you will gradually become the old and be cleared away. Sorry to be so dramatic, but it's quite true. Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma, which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice, heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.
これが最も死に直面した経験です。そして、この先数十年はこうした経験が無ければいいと思っています。そした経験から、さらにもう少し確信を持って言えることは、死を意識することは有益だけれども、それは頭の中の概念的なものに過ぎないということです。誰も死にたいと思う人はいません。天国に行きたいと願う人ですら死にたくは無いのです。でも、死は私たち全員が共有する終着点なのです。だれもそれから逃れることはできないのです。そしてそうあるべきなのです。死は生の唯一最高の発明なのだから。それが生命に変化を起こすことができるのです。新しいものの為に古いものを消して行く。そして今、新しいのものはあなたたちです。そして遠く無い将来、あなたたちも古いものになって消えて行く。ドラマチックな言い方だけれども、それは本当です。あなたたちの時間は限られている。だから他の人の人生で無駄にしないでください。ドグマに縛られないで下さい。それは他の人の考えに沿って生きるということだから。他人の意見に自分の内なる声、心、直感を消されないようにして下さい。それらは既にじぶんがどうしたいかを知っているのだから。他人のことなど二の次でいい。
When I was young, there was an amazing publication called The Whole Earth Catalogue, which was one of the bibles of my generation. It was created by a fellow named Stuart Brand not far from here in Menlo Park, and he brought it to life with his poetic touch. This was in the late Sixties, before personal computers and desktop publishing, so it was all made with typewriters, scissors, and Polaroid cameras. it was sort of like Google in paperback form thirty-five years before Google came along. I was idealistic, overflowing with neat tools and great notions. Stuart and his team put out several issues of the The Whole Earth Catalogue, and then when it had run its course, they put out a final issue. It was the mid-Seventies and I was your age. On the back cover of their final issue was a photograph of an early morning country road, the kind you might find yourself hitchhiking on if you were so adventurous. Beneath were the words, "Stay hungry, stay foolish." It was their farewell message as they signed off. "Stay hungry, stay foolish." And I have always wished that for myself, and now, as you graduate to begin anew, I wish that for you. Stay hungry, stay foolish.
私が若かったころ、「全地球カタログ」という驚くべき本があって、私たちの世代のバイブルでした。それはスチュアート・ブラントという男が、ここからそう遠くは無いメロンパークというところで制作したもので、彼の詩的なタッチで実に生き生きとしたものに仕上げていました。60年代後半、パーソナルコンピュータやDTPが生まれる前、タイプライターとはさみとポラロイドカメラで作られていました。それはGoogleができる前、35年前のGoogleのペーパバックというようなものでした。理想的で素晴らしいツールと偉大気づきで満たされていました。スチュアートとそのチームは「全地球カタログ」を何号かだした後、そのコースを回りきり、最終号を出しました。70年代半ば、私はちょうどあなたたちと同じとしでした。
最終号のカバーには朝早い田舎道、あなたたちのが冒険好きであればヒッチハイクで出会う様な、そんな写真でした。その下に言葉が書かれていました。「ハングリーであれ、バカであれ」それが彼らのお別れのメッセージでした。「ハングリーであれ、バカであれ」そしてそれは、いつも私がそうありたいと思うものでした。そして今、新しい一歩を踏み出すあなたたちにもそれを願ってやみません。「ハングリーであれ、バカであれ」
Thank you all, very much.
ご清聴ありがとうございました。
2010年4月26日月曜日
岡本太郎美術館に行ってきた
神奈川県川崎市 生田緑地にある岡本太郎美術館に行ってきた。天気が良く風が気持い良いゆったりとした空間だった。岡本太郎の絵画はギラギラした黒と赤と青と緑と黄が混ざり合って独自の立体感を生み出している。この絵画は実物を間近で見ないとわからないと思う。渋谷駅にある「明日への神話」は圧倒的な存在感があるが、若干遠い。
岡本太郎と言うとエネルギッシュで芸術は爆発だなんて言っているポジティブなイメージがあるが、僕はどうもこの絵画からはそれを感じなかった。どこかに深淵なるダークな感情があるように思える。それとも作品は自分自身を写す鏡ということなのだろうか。ただ絵画と違い立体はコミカルだ。僕はそこに人間らしさを感じる。館内ではビデオも流されていた。その中の言葉を記しておく。正確な言葉については間違っているかも知れません。
芸術は上手くあってはならない。
綺麗であってはならない。
心地よくあってはならない。
綺麗であることと美しいということは
同じように聞こえるが実は正反対である。
手先の綺麗さではなく、むしろ嫌ったらしさや不快感を含め
人間的なものの中に美しさがある。
2010年4月17日土曜日
第9地区を見てきた
第9地区を見てきた。Twitterで@kenjienoさんや@Kojima_Hideoさんが面白いと言っていただけでなく(@kenjienoさんの発言、@Kojima_Hideoさんの発言)、先日に伯父さんの家に言った際にも話題になったので見に行くことにした。グロいのが苦手な人には辛いかもしれないが面白かった。絶賛したいくらい。映画のプロモーションが中身を敢えて語らないようにしているし、ネタバレすると興醒めするかもしれないので内容については伏せておきます。
代わりにパンフレットに記載された主演のシャルト・コプリーを引用しておきます。
閉じられた世界にいる人間が、突然、自分の考えていたこと、信じていたことを意識しはじめ、それが崩れる。そこで、ほとんど根源的な問いかけが出てくるんだ。
「ぼくらは何者か? 自分は誰なのか?」
「ブレードランナー」(82/監督:リドリー・スコット)や「マトリックス」(99/監督:ウォーシャウスキー兄弟)にしても、優れたSF作品にはこんな問いかけがあると思う。観客はポップコーンに気を取られていて、気づかないかもしれないけどね。
前半のメッセージ、敢えてのB級テイストも良かったけど、物語全体を通じて語られる上のメッセージが何よりも良かった。
2010年4月12日月曜日
ハートロッカーを見てきた
ハートロッカーを見てきた。以下Wikipediaから。
『ハート・ロッカー』(The Hurt Locker)は、2008年のアメリカ映画。イラクを舞台としたアメリカ軍爆弾処理班を描いた戦争アクション、社会派ドラマ。撮影はヨルダンで行われた。第82回アカデミー賞作品賞受賞作品。タイトルはアメリカ軍の隠語で「苦痛の極限地帯」「棺桶」を意味する。
そういえば書くのを忘れていたけど先々月にアバターを見てきた。アバターはすごい良くて皆に見るように薦めた。アバターは3DはもちろんのことCGXでの世界観は引き込まれる。ハートロッカーはストーリーが重い+現実感がある分、皆に見ろとは言えないけれどもよく作りこまれた映画だった。映像の作り込み、爆破、戦闘行為のリアリティ、突きつけられた現実、主人公の生き方に共感を覚えました。あとオチについてこんな話(ネタバレ注意)もあった。個人的には、エンディングのテーマソングがある一方で、爆破映像の作り込みなどから両方の側面が描かれていたと思う。
PS3のヘヴィーレインはクリアした。オチは納得いかない部分があるけどゲームシステムは革命的。
NHKスペシャル「ハッブル宇宙望遠鏡 宇宙の始まりに挑む」も見た。こっちも良かった。宇宙やばい。
2010年4月5日月曜日
深夜のSガストにて
先日の出来事。終電ぎりぎりで地元の駅に戻る。そういえば夜ごはん食べていなかった。特に食べたいものもあるでも無し、なんとなく入りやすそうだったSガストに入る。夜遅いこともあってかお客さんは誰も居なかった。券売機で適当なメニューを選び、ちょいと奥目のあまり目立たない席に適当に座る。チケットを渡してメニューが出てくるのを待つ。
店員さんは2人いて、ひとりは慣れていない手つきで料理の作り方を教わっていた。本当に慣れない手つきだったので些か不安になったりもしたけれど、色々な指示を出されるごとに威勢よく「はい!」と返事をし一生懸命に取り組んでいた。何をすべきか分からないけれど、一生懸命に取り組む様子に少し共感を覚えた。
やがて僕のメニューが運ばれて来ると同時に、別々のスーツの男性2人が店に入ってきた。僕の2つ右隣にひとり、さらに3つ隣にもうひとりが座った。食事をとりながらカウンターの向こうを見ると、同じように作り方を教わりながら料理をしていた。指示内容は非常に細かい。ご飯は冷めるから、出す直前に用意する。ドレッシングは一つ使ったら補充しておく。カレーはお皿が軽いからご飯を多めに等々。。。。
彼は一生懸命指示を受けながら料理をしていたが、慣れない為に時間がかかっていた。はじめは誰でも時間がかかる。そのまどろっこしさが気に入らなかったのか右隣のスーツの男性が「ちょっと、見習いに作らしてないで早くもってきてよ」と言う。いや、確かに見た感じ彼は容量の悪そうな感じもしたけれども。僕は彼に親近感を覚えたのかもしれない。そうでないのかもしれない。ただなんとなく咳払いをした。スーツの男性がこちらを見た。僕はもう一度咳払いをした。ただそれだけのことだった。まあ嘘なんだけど。
2010年3月23日火曜日
どんどん季節は流れて
戦後の焼け野原から65年過ぎて、東京には新しいビルが立ち並ぶようになった。立ち並ぶでは無く、ひしめき立つという表現の方が相応しいかもしれない。凄まじい発展だ。どれだけビルを立て続けたのだろう。
全てが崩壊した焼け野原の日本で「生きよ、堕ちよ」と坂口安吾が言ってから、東京ミッドタウンのスターバックスで「キャラメルマキアートをトールで」なんて言ったりするのに65年しかかからなかったことになる。どれだけの速さでビルを建てまくったら、どれだけの速さで物が増えれば、こんなことになるのだろう。
98年、ちょうどGoogleが出てきた頃で、当時の僕もインターネットが全てを変えるなんて思った。実際、世の中は大きく変わってきて、調べごとをするのに図書館に向かう人は減った。家族はちゃぶ台を囲むなんてことは無くなって、親子の会話はメールになった。
65年を改めて考える。1世代は大体30年とすると、終戦直後の65年前はちょうど祖父母の世代にあたる。そして、父母の世代が過ぎて、ちょうど今が僕らの世代だ。父母の世代の80年代のモノづくりニッポンは変わってきている。それらが変わっていこうとしているのを感じている。僕らは車は持たないし、テレビは見ない。どのように変わっていくのかは分からないけれど、それには良い面と悪い面が両方あって、僕らはきっとその両方の責任を持たなければならないんだと思う。
大和朝廷ができたのが4〜6世紀らしいけれども、世代で考えるとざっくり50世代前ということになる。古墳時代から、たった50世代ということになる。そう考えると僕らはとんでもなく遠いところまできてしまったし、これからもとんでもなく遠いところに向かっていく。
変わらない物もある。美味しいものを食べれば嬉しいし、人が死ぬのは悲しい。楽しい、辛い、気持ちいい、、、そんな感情や感覚は言葉や論理や歴史を超えて共通の感覚として在り続けるんだろうと思う。
とてつもない速さで変わっていく中で、変わらないものを見失わないでいるということは難しいかもしれないけど、とても大切な気がする。どんどん季節が流れていくなかでも何が好きか位は言いたい。
Ustreamで七尾旅人×やけのはら - Rollin' Rollin'を聞いてそんなことを考えた。
2010年3月6日土曜日
寒いと暖かいを繰り返しながら春がくる
久々の更新です。最近は雨がふったり、暖かい日があったり、花粉が飛んだり、そうしながら、だんだん春がきているコトを実感します。そうやって寒いと暖かいを繰り返しながら春がくるのです。冬の間は忘れてしまうのですが。なんてことを考えてました。
USTREAMが最近おもしろいです。ちょっと前からおもしろいです。ちょうど今もEnoさんがDJをやっているのを聞きながらブログを書いて、たまにコメントをTwitterで投稿してます。とんでもないライブ感です。
USTREAMが最近おもしろいです。ちょっと前からおもしろいです。ちょうど今もEnoさんがDJをやっているのを聞きながらブログを書いて、たまにコメントをTwitterで投稿してます。とんでもないライブ感です。
2010年1月20日水曜日
新年の目標
新年の目標を書くと言いながらズルズルと先延ばしにしてしまった訳だが、毎年年始はこうだらけている気がする。年末は師走という程に忙しいのだから忙殺されているという言い訳ができるにしても、年始まで忙しいというのはどういう事だろう。これは全くもって逆の現象であり、自分の動きが遅くなっているのではないかと疑うばかりである。
従来人間は年始はあまり活動しないように出来ているのではないだろうかと考えてみたが、暦というものは人間が考えたものだから天体的な現象とも説明ができない。それこそ宇宙のパワーですなんて言えば、年末年始の番組特番のような気もしてくるし、そもそも1月20日まで番組特番なんてやっていない訳である。という訳で年始の目標を考えた。
「適応力」と「煽動力」というテーマにしようと思います。「適応力」とは困難な環境でも自分の能力を持ってこれにあたることです。そのために自分を環境に合わせていく能力を身に付けたいと思います。「煽動力」とは困難な環境に陥ったとき、または陥る前に周囲の環境を変えていく能力として書いています。
この二つの能力を併せ持つ象徴的なモノを想像したらインフルエンザという結論になって、あまりに不謹慎なのでここらで締めておきたいと思います。
2010年1月4日月曜日
旧年の振り返り
新年の抱負を書く前に2009年の振り返りを少し。
一年前は下記のことに注目すると書きました。
2009年はTwitterの大流行(電通が絡んでいるのではと邪推したりしてますが)やiPhoneの普及やGoogleの新技術の発表などがありました。一方で小さなベンチャー企業は景気悪化の煽りを受けて廃業になったものも少なくありませんでしたが、セカイカメラなどのAR(拡張現実)事業は注目を集めています。ゲーム業界については相変わらず任天堂の評価は高いですが、世界的には日本のプレゼンスは低下している状況ではあります。PSP goなどオンライン配信などi-Tunes型モデルもスタートしました。
以下、簡単にまとめておきます。
・Concept→小さなコンセプトは淘汰された。
拡張現実とクラウドコンピューティングなどインフラよりの発想にシフトしつつある。大量の資金確保が難しい現状ではこれらの中核技術がより注目されると思われる。
・Contents→配信ビジネスの流行の兆し。
iPhone,Kindle,PSP go,着うたなど多くのものが配信されるようになった。今後の課題としては三者間(ユーザー、クリエーター、配信)の利益分配のモデルか。
・Connection→アメブロ、Twitterなど著名人の参加が話題に。
芸能や政治の分野での活用方法が注目され出す。ネットワーク性は引き続きビジネスモデルとしての中核を担うが、既存ユーザーにおいては飽和感があり異分野への展開があると思われる。
今年のテーマを少し書いておきたいと思いましたがちょっと長くなったので次回にしたいと思います。
一年前は下記のことに注目すると書きました。
-Concept
コンセプト。どういう概念を見ているのか。
-Content
コンテンツ。どういう内容が存在しているか。
-Connection(communication)
コネクション。どういう伝達が行われているのか。
2009年はTwitterの大流行(電通が絡んでいるのではと邪推したりしてますが)やiPhoneの普及やGoogleの新技術の発表などがありました。一方で小さなベンチャー企業は景気悪化の煽りを受けて廃業になったものも少なくありませんでしたが、セカイカメラなどのAR(拡張現実)事業は注目を集めています。ゲーム業界については相変わらず任天堂の評価は高いですが、世界的には日本のプレゼンスは低下している状況ではあります。PSP goなどオンライン配信などi-Tunes型モデルもスタートしました。
以下、簡単にまとめておきます。
・Concept→小さなコンセプトは淘汰された。
拡張現実とクラウドコンピューティングなどインフラよりの発想にシフトしつつある。大量の資金確保が難しい現状ではこれらの中核技術がより注目されると思われる。
・Contents→配信ビジネスの流行の兆し。
iPhone,Kindle,PSP go,着うたなど多くのものが配信されるようになった。今後の課題としては三者間(ユーザー、クリエーター、配信)の利益分配のモデルか。
・Connection→アメブロ、Twitterなど著名人の参加が話題に。
芸能や政治の分野での活用方法が注目され出す。ネットワーク性は引き続きビジネスモデルとしての中核を担うが、既存ユーザーにおいては飽和感があり異分野への展開があると思われる。
今年のテーマを少し書いておきたいと思いましたがちょっと長くなったので次回にしたいと思います。
2010年1月1日金曜日
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