2008年9月24日水曜日

サービス追加とか

さっきMixiにログインしたら「あなたの友人かも?」
という機能が追加されてた。これっていつ追加されたんだ!?

Twitterクローン(エコー)のような機能は追加されて
話題になっていたみたいだったけど、これは見落としていた。
(8/25に追加になったらしい。そういえばあった。)

そもそも告知のスペースすら僕はあまり見ていない。
ブログも外部化しているからあまりログインする必要も無いし。

ログインしたら、「マイミクの日記更新状況」を見て
「コミュニティの上らへん」をざっと見て「足跡チェック」して終了。

「あなたの友人かも?」はなかなか面白い機能だと思うんだ。
匿名の人が多いので結局、マイミク申請はしなかったけど。

ソーシャルグラフは「情報と人をリンクさせる使い方」と
「ソーシャルグラフをデータベースとして活用する方法」がある。
今回の機能は「後者」の方だと思うんだけど、色々出来そう。

例えばソーシャルグラフを利用してコミュニティ同士の相関を出してみたり。
血液型とマイミク人数のデータで、血液型と社交性のデータを出したり。
そして人を探し出すだけでなく、求める情報をプッシュするツールになれば
ソーシャルグラフのネットワーク効果(利用者が増えると便益が増える)
が働いて面白いことが出来そうだなー(これは色々アイディア出てくる!)
、、、とか考えたり。


と言いたいことから話が脱線しているんだけど
気になったのは新サービスの追加を告知をどうすれば良いのかということ。
大幅にレイアウトを変えると、慣れていたユーザーは不便に感じるし
全く変えなかったら機能追加に気づかない。

サイトを隅々まで見るのは初めて訪れてきた人だけだ。
そう考えると(Web2.0的)永遠のβバージョン言われる開発方法はアリだとしても
最初の段階でコア(中核)となるサービスは備えなくてはならないし。
でもユーザーのフィードバックを受けながらサービスを開発させたいし。


そう考えると問題の中心は
「ユーザーのアテンション(注意力)は有限であること」
ということなんじゃないかと思う。

ラーメン屋さんに行って、うまいからといって
全部のラーメンが食べれるわけじゃない。
無駄にレパートリーが多いことは良いことじゃない。

なので、僕は松屋か吉野家だったら吉野家派なのです。
そんなことを思いました。




告知に関しては次のような対策があるのかな。

・皆が見るスペースに告知欄を作り、告知タイトルは適正に設定する
・機能追加時には何がサービスのコアなのか再検討する
・サービスのコアが変わる時には、リニューアルを行う
・アーリーアダプターとそれ以降のユーザーは明確に分けて意識する必要がある
・使われない不要なサービスは削除するか、別に配置する

2008年9月14日日曜日

原付を買った

雨の中、原付に乗っていたら急にエンジンが止まった。
そして二度とエンジンがかからなくなった。

ちなみに原付に乗る前は、車も持っていたんだけど
二度も当て逃げをされて、嫌になって手放した。


新しい原付を買うことにした。
YAMAHAのVOXというやつなのである。
おお。これからよろしく!

前の原付は半年くらい自賠責が残っていたから解約しようとしたら
平日しか受け付けていなく、しかも戻るのが1000円くらいって。。。
で諦めた。(電話対応の人は感じよかったけど)

あと、自分の立場を考えたら車を持つべきなのかなぁとは思うけど
利用状況を考えると原付の方が最適なのである。
しかも燃費もいいので地球にも財布にもやさいしい。

原付は何となくチープ。車と原付の差って何だろう。
値段。保険料。維持費。サイズ。乗車人数。スピード。デザイン。。。。
色々考えられるんだけど、原付は生活に密着している気がする。
車の空間は、生活と切り離された空間だと思う。

クレジットカードも還元率の高いカードとアメックスは本質的に違う気がする。
生活に密着した、還元率の高いカードと
安心とステータスを提供するアメックス。

こんなことを考えながら、とりとめのないことを書いているが
要は何を書いたらいいのか分からないだけなのだ。
要は原付を買っただけなのだ。

2008年9月7日日曜日

ダークナイト見てきたよ



いい。良かったです。シリーズ最高傑作。
そして映画史に残るジョーカー。


監督:クリストファー・ノーランは『メメント』の時に
「これは....!」って思った。はまった。

『ダークナイト』の奥底にあるもも共通してた気がする。
おそらく監督の奥底に流れるものなのだろう。

なんて書いたら正確に伝えられるのか、
分からないんだけどこんな感じ。

『何か』に人生を捧げる。『何か』は人生そのものになる。
人は必ず死ぬが、『何か』には終わりはない。
そして繰り返される『何か』の中で、答えを探していく。


とりあえずココロを持ってかれる。
ジョーカーは最高にシビレルのは間違いないし
(完全にココロを持ってかれた)
ビルの崩壊シーン、バットモービル、アクションの重量感、
台詞の言い回し、キャラクターの立て方、などなどなど。
(音楽はあまりだったかな、色んな意味でハリウッド的)

あと凄いと思うのはタイトルからバットマンの冠を外したこと。
言いたいことを伝えるためには外さざるを得なかった
だけど、それは凄く思い切った決断が必要だっただろう。
そして外したことがこの作品を更に上の段階に持ち上げたと思う。


ハリウッド的エンターテイメント作品では無いけど
そんなものは映画館で見たく無いんですよ。っと。

ハリウッドの未来は『ダークナイト』に在るんじゃないかな。

人々が必要としているのは本当にスーパーヒーローなのか..

Batman has no limits.
But you do,sir.

You've changed things... forever.
There's no going back.
See, to them, you're just a freak... like me!

2008年8月31日日曜日

mF247のサービス休止について

http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2008/08/28/20690.html

mF247の優先交渉権を1000万2000円でクエイクが落札した。

入札競争をリアルタイムで見ていたんだけど
1000万1000円まではひろゆき(2ch)が競り合っていた。
70万あたりからの値段の競り合いは結構面白かった。

役割を終えたということでサービス終了は寂しいが
ヤフオクで交渉権って言うのも丸山茂雄さんらしくていい。

mF247はインディーズアーティストのための楽曲を提供する場所であった。
Radioheadの、「購入者が値段を決められるアルバム(無料でもOK)」を
提供したのもこのサイトだった。
ちなみに247とは24時間7日間という意味である。

僕はインディーズ音楽が好きだし、ウェブのサービスということで
サービス開始当時からかなり注目していた。

ニコニコ動画
の人気からも、
「アーティストが表現する場所」
はいつの時代も求められているんだろう。
(大量削除の話は置いておこう)

音楽+ウェブという意味ではLast.fmと似ているが
表現の場所という意味ではmF247は大きく異なる。

ウェブサービスを提供する上で、「サービスの内容や質」と同時に
「誰に提供するのか」ということを考えるのは重要だと改めて思う。

音楽や映像がウェブで表現されるようになって、
そのうちゲームや書籍もウェブでもっと表現されるようになるだろう。
もちろんそれは「全てをウェブで」ってわけではないし、
インディーズや二次創作物だけの世界だけかもしれないが
少なくともゲームなんかはパッケージや流通のコストを考えると
ウェブで完結してしまった方が効率が良さそうではある。

飯野賢治さんと西健一さんがiPhone/iPod touch向けに
netonicaというゲームを販売するが
やはりiPhoneのすごい点の一つはSDKからi-Tunes storeまで、
「モノを作って、そして、ユーザーまで届ける」という仕組みが
全て揃っているということだろう。

すなわち「アーティストが表現する場所」には
「作品を生み出す現場」と「流通・プロモーションの仕組み」
かなり密接に関係しているし、そこには微妙なパワーバランスが存在する。

例えば任天堂はファミコンを販売していたときはカートリッジを通じて
各ゲーム製作会社から利益を上げていたし、
そのためカートリッジの販売価格は1万円前後した。
これは質の良いソフトを提供するという意味では効果があったのだろう。
(クソゲーもあったがそれは愛されるものでもあった。たぶん。)

一方、このことによってインディーズや二次創作の場として
カートリッジを利用することは難しくしてしまった側面もあろう。
それはきっと業界全体として新しい活力を失うことにもなってしまう。

ユーザーが集められなければビジネスとして成立しないように
クリエーターが集まらなければサービスとして存続できないのではないか、
そして、それらを如何にデザインしていくべきかを
考える必要があると思うのです。

2008年8月24日日曜日

遠方に去る


まあ、去るってほど大げさではないんだけど
10年来の友人が転職し大阪(その後アメリカ?)に行くことになった。
それで昨日はいつものように集まって、いつものように遊んだ。

なんだかついでに、10年間を思い返してみて
少し感慨深いものを感じた。

この10年間色んなことをやってきたけど、
きっと一人では出来なかったと思う。
いや間違いなく一人では出来なかった。

同じ道を歩きながら時間はどんどん過ぎていって
いまはそれぞれの道を進んで行ってるんだと思う。
だからこそ、戻る場所、帰る場所があるんだと思う。

戻ってきた場所が変わってないっていいことだよね。



10年前と同じで僕はまだ世の中が変えられると思っているし
そのためには自分が変わっていかなきゃと思ってる。
やりたいことをやるために自分が変わっていけばいいと思っている。

だから、頑張れという言葉は言わないことにしているけど
アメリカに行っても頑張ればいいと思うんだぜ。